北朝鮮帰国事業を考えるシンポジウムで証言する石川学さん。2019年11月東京にて合田創さん撮影

◆朝鮮人の父と日本人の母…極貧の幼少時代

在日朝鮮人の脱北者・石川学(李在学=リ・ジェハク)さんが、急性白血病で入院中だった東京都内の病院で2月25日早朝に亡くなった。65歳だった。(石丸次郎

1958年4月、在日朝鮮人1世の父と日本人の母のもと、4人兄弟の末っ子として東京で生まれた。小学生の時に両親が離婚した後、昼食の弁当が無い、学校の制服を買えないなど、極貧の中で暮らした。

東京第6朝鮮初中級学校に入学、寮のあった栃木朝鮮初中級学校に移り、中学3年生だった1972年8月に帰国事業で兄姉と3人で北朝鮮に渡った。北部の両江道(リャンガンド)の恵山(ヘサン)市に配置され、高校に該当する専門学校を卒業した後、機械工として働いた。

現地の女性と結婚し2人の息子をもうけたが、1990年代後半の経済危機と餓死者が出るほどの社会混乱を経験し、北朝鮮の将来に絶望して2001年に中国に脱出、翌年9月に日本に入国した。

◆北朝鮮政府の責任問う裁判闘争に参加

石川さんは、北朝鮮政府が虚偽の宣伝で在日朝鮮人の帰国を誘引し、渡航後は出国を禁じられる中で深刻な人権侵害を受けたとして、2018年に他の「脱北帰国者」とともに、北朝鮮政府を相手に損害賠償を求める訴訟を起こした。

東京地裁は2022年3月に請求を却下。しかし、2023年10月30日の控訴審で、東京高裁は北朝鮮政府の加害行為を認めて一審を取り消し、審理を東京地裁に差し戻した。

石川さんはこの判決を大変喜び、「生まれて初めて人間として扱ってもらえたと思いました」と、生前に語っていた。

曲がったことが嫌いな一途な性格。茶目っ気があり周囲の人気者だった。

※北朝鮮への帰国事業
日朝両政府の合意のもと、赤十字が主体となって在日朝鮮人の北朝鮮への帰還が進められた。1959~84年に在日朝鮮人とその日本人家族合わせて9万3000人余りが北朝鮮に渡った。

 

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