合田創(自由ジャーナリストクラブ)

合田創(自由ジャーナリストクラブ)

(合田)
いい記事があれば褒めてほしい、ということについて補足しますと、昨年の12月18日、青山学院大学で、「人権と報道連絡会のシンポジウム、検察とメディア」というのが行われています。
そこで、ジャーナリストの青木理さんがこういうことをおっしゃっています。

「新聞記者個人を見ると優秀な人が多くいる。総体としてみると検察べったりの記事が多い。しかし、いい記事が出たときは褒めることだ。このスクープは素晴らしい、とメールやファックスを送り伝えること。これが結構効く。その前提として署名記事にすることがある」
つまり、批判もあれば、褒めるということもある。メディアに関して、市民が関与していく大きなポイントだといえます。
では、石丸さん。メディア自身の権力の問題、この大きなテーマをフリーランスからみて、深めていってください。

(石丸)
個々の記者の心掛けということでは異論はまったくありません。
一方で、これまでの冤罪報道被害ということを考えると、やはりメディアが組織として犯した過ち、構造としての弱点をみざるを得ません。
村木さんの事件も、各社、検察の情報をうのみにして書いていたわけです。犯人扱いとまでは言わないけれども、非常に厳しい書き方をしていたわけです。

それは村木さんの事件から始まったわけではなく、ずっと昔から、事件取材は検察から情報をもらって、それをたれ流すということをメディアが繰り返してきた。
それが冤罪を生む大きな原因の一つになってきたのです。
言いかえると、冤罪にメディア自身が、あるいはわたしたち記者が、冤罪を作るということに加担してきたことは具体的にあったわけです。
足利事件でも、大変なご苦労された、といった報道一色になりましたけど、振り返って18年前に逮捕された時の菅谷さんについて、マスメディアは無茶苦茶書いていたわけですよ。

朝日新聞のなかでは、どういったことが議論されているのか。
あるいは、現場の記者たちはジャーナリストとして、冤罪報道に対する批判に対して、犯してきた過ちに対して、どう向きあおうとしているのか、それとたれ流し報道批判に対して、板橋さん自身がお考えになっていることを聞かせてください。
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