(※2003年初出のアーカイブ記事。情報等は当時のまま)

◆戦争とアフガン社会

アフガニスタン社会、そして長いあいだ戦争におかれてきた人びとをどう見つめるのか。ザルミーナ事件を取材しながらずっと考え続けた。(2002年撮影:玉本英子)

アフガニスタンには今も貧しさゆえに幼い娘を結婚させるという現実があった。
カブールで私が出会ったある未亡人は、11年前に12歳だった長女を地方の農家に嫁がせていた。夫側の家族が支払う、いわゆる結納金で自分たちの食べ物を買ったのだと彼女は私に言った。

「どうしようもなかった。娘も嫁に出ればなんとか食べていくことができる」
その未亡人はけっして娘を愛していないわけではなかった。
彼女はいつも小さな財布のなかに娘の写真をしのばせ、時々写真を取り出しては、写真の娘に話しかけ、そっと口づけをしていた。

ガズニで農村部の警備に向かう武装警備団の男たち。(2002年撮影:アジアプレス)

数十年もの戦争のなかで生きてきた家族にとって、女児を地方に嫁に出すことは「疎開」を意味してもいたし、少なくともその子は明日の食べ物に困ることはなくなる。こうした背景を無視して、「人身売買だ」と言い切ってしまうのは短絡的な見方である。

日本の結納金というしきたりも西洋的な視点だけで見れば「売買契約金」という解釈も成り立つだろう。
アフガン社会にも目を向けながら、番組のなかでザルミーナをどういう女性として描くのか。
私とカーラは、議論をかさねた。

彼女はザルミーナを悲劇の女性ととらえ、タリバン政権によって殺された犠牲者という側面を強く押し出そうと考えていた。
ニューヨーク貿易センタービルに航空機が突入したあの9・11事件からまだ1年もたってはいない。再三にわたるアルカイダの引渡し要求を拒むタリバンと、その圧政を強いられているアフガニスタン市民。

アメリカ人の彼女にとって、「タリバン=巨大な悪」というイメージが、頭のなかにあったように思う。
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