「シリア各地から物資は届いていて、市場には食料が並んでいました。しかし、高くて手が出せませんでした。例えば主食のナン(パン)ですが、以前は家族で一食分になる8枚が80リラで買えたのに、地区では500リラ(1ドル)もしました。たとえば学校の先生の月給が100200ドルですが、市民の多くはそれ以下の収入で、家族は生きていけません。庭などに菜園を作り、自給自足の生活をしようとする者も少なくなかったです」。

「地区では学校は閉鎖され、10代の娘は学校へ行けませんでした。モスクで読み書きやコーランの勉強をする学校のようなものがあり、教育を受けさせたい親は、子どもをそこへ行かせていました」

夫がいないシャムサさんの家族を支えていたのはレバノンに出稼ぎに出ていた長男の仕送りと、小さなレストランで働いていた22歳の次男の給料でした。それで家族はなんとか生き延びることはできました。しかし生活できない人たちの中には当初月200500ドル給料がもらえたという理由から、ISの戦闘員になった者もいました。

次男は町の広場で毎週3、4人の公開処刑を見たそうです。ISが見に来るように告知するのです。首切りや銃殺刑…。スパイ容疑で処刑された者の遺体は3日間放置されていました。市内に政府関係のビルがあるのですが、そこから人が突き落とされるのも見たそうです。「同性愛の罪」とISが宣告したとのことです。

現在、クルド人とアラブ人の合同部隊、シリア民主軍(SDF)がアメリカなどの支援を受けながら、ISと激しい戦闘を繰り広げており、避難民が急増、キャンプへの道は車が列をなしていた。(7月下旬ラッカ郊外にてハイサム・ムスリム撮影)

ラッカ郊外に設置されたアインイサ・キャンプ。IS支配地域から逃れてきた人たちなど2万5000人が身を寄せている。気温が40度を超える日も。(8月中旬ラッカ郊外にてハイサム・ムスリム撮影)

ラッカ郊外の避難民キャンプにて。(8月中旬ハイサム・ムスリム撮影)

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