【故マスード司令官(1983年3月、カブール北方のパンジシール渓谷で撮影)】撮影:野中章弘

「源義経みたいな人物だな」
20年前、マスード司令官に初めて会った瞬間、そう思った。
彼の命令を受けるムジャヒディン(戦士)たちは弁慶みたいなむくつけき男ばかりである。粗忽(そこつ)で荒々しいゲリラたちの群れの中にあり、マスードだけは詩人のような知性を身辺に漂わせていたからである。

ある時、ゲリラ部隊に従軍していたときのこと。バシッという破裂音に驚いて後ろを振り向くと、マスードがひとりの兵士に激しいビンタを食らわしていた。殴打の理由はわからない。ただその光景を私に目撃されたのを知り、彼はさっと頬(ほほ)を染めたのである。

マスードが何を恥じたのかは判然としない。しかし、あまりにもナイーブな感性である。北部を支配するドスタム将軍などは捕虜を戦車でひき殺しても顔色ひとつ変えることはなかったのだから。
その後、ソ連軍に対するジハード(聖戦)からタリバン政権との内戦まで、20年余りの間、彼は激しい戦いの日々を過ごしていた。そのマスードも9・11無差別テロ事件の直前、自爆覚悟のテロリストに爆殺されてしまった。卓抜したゲリラ指導者は、戦乱の時代をつむじ風のように駆け抜けていったのである。

他の指導者たちが“イスラムの大義”という美名のもとで醜い権力闘争に明け暮れる中、彼は出身民族のタジク人だけでなく、地域や民族を越えて名声を獲得したほとんど唯一の高士といえた。しかし、そのマスードですら、権謀術数の渦巻く下克上の世を生き抜くことはできなかった。それは己の欲望をむき出しにすることを恥じる“弱さ”のせいなのか、それとも結局は民族と民族の果てしない抗争の激流に彼もまた飲み込まれてしまう運命だったのか。

昨冬、カブールを訪れるとマスードの遺影は街のいたるところに掲げられていた。ここでも生き残った者たちは、“悲劇の英雄”を求め、その物語を好む。それは時を越えて語り継がれ、やがて小さな伝説となっていくのかもしれない。
(2003/02/10)