(※2003年初出のアーカイブ記事。情報等は当時のまま)

砂塵とともに

カブールのはずれの広大な墓地の片隅にあるザルミーナの墓。訪れる人は誰もいない。(2002年撮影:玉本英子)

私は取材をしながら、アフガニスタンとどう向き合えばいいのか、ずっと考え続けてきた。

タリバン政権崩壊後、女性が再び教育を受けることができるようになり、公務員や教員などの役職にも復帰しつつある。
一方で、とくに地方の女性がおかれた状況が大きくは変わったわけではない。

強姦され、一族の恥として身を隠して生きなければならない女性。夫に反抗したとして、顔に硫酸をかけられた妻。
そんな話はあとを絶たない。

こうした現実のなかで、少しでも未来を切り開こうと、立ちはだかる問題に取り組む女性たちの姿も見てきた。
何十年も世界から放置されてきたこの国は、「テロとの戦い」でアメリカ主導の多国籍軍が介入したことで、状況が一変した。だが、タリバンが去って、すべての問題は解決するのだろうか。

ほんとうの変化がわかるのは、何年も先のことだろう。
そのとき、状況は今よりも良くなっているかもしれないし、何も変わってないかもしれない。

 

裁判所の書庫から見つかった供述調書にはザルミーナの顔写真が貼られていた。私が見つけた唯一の写真だった。(2002年撮影:玉本英子)

取材も終わりに近づいたある日、夫の兄にあたる叔父が一枚の警察調書のコピーを見せてくれた。
調書の隅にはコピーのインクでつぶれたザルミーナの顔写真がある。

ザルミーナの写真は存在しないときいていたが、叔父の元にコピーが残っていたのだ。
裁判所にいけば本物が残っているかもしれない、と叔父が教えてくれた。

私は再び裁判所に行き、警察調書を探した。
そして、ほこりだらけの書庫からザルミーナが夫を殺した容疑で逮捕されたときに作られた調書を見つけ出すことができた。
調書には逮捕時に撮影された顔写真が貼ってあった。

白黒写真のピントがすこしぼやけてはいたが、それはまぎれもなくザルミーナの顔だった。
30代には見えないほどまだ若く、大きな瞳と魅力的な唇をもった女性だった。

小さな顔写真を見つめながら、私は彼女の短かった人生に思いを馳せた。

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カブールの北はずれの墓地にザルミーナの墓はある。
墓石に名前は刻まれていない。

盛った土の上に、それが女性の墓であることを示す横向きの平たい石が立てられているだけだ。

彼女は夫以外の男性に心と体をゆるし、したがうべき存在の夫を殺したとして死刑となった。

ザルミーナを処刑したのはタリバン政権だ。
しかしそれを彼女に突きつけたのは、一族の名誉を汚す者に対して死をもってまでも償わせるアフガンの社会そのものだったのではないか。
彼女の墓を見つめながら、私はそう感じた。

涙がこみあげてきた。
強い風が私の頬をつたい、涙をぬぐった。

舞い上がった砂塵が、つむじとなって広い墓地を吹きぬけていった。 ()【玉本英子・アジアプレス】

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(14・最終回)裁判所で見つけた警察調書と顔写真 写真2枚
(13)娘の最後の日 写真3枚
(12)競技場での公開処刑 写真6枚
(11)カブールの売春婦たち 写真4枚
(10)女子刑務所で 写真5枚
(9)タリバンは巨大な悪なのか 写真4枚
(8)タリバン支持の村に暮らす次女 図と写真3枚
(7)長女が語った意外な言葉 写真4枚
(6)遺された子どもたち 写真6枚
(5)札びらを切る外国メディアの姿 写真4枚
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