2001年のアメリカへの同時多発攻撃から10年。「テロとの戦い」として始まったアフガニスタン、イラクでの戦争はいまも続く。アジアプレス・メンバーが過去に取材・発表したの記事を特選アーカイブとして掲載し、いまあらためて「戦争の10年」を振り返る。

(※2003年初出のアーカイブ記事。情報等は当時のまま)

「ザルミーナ」~公開処刑されたアフガニスタン女性を追って 
夫殺しの罪名でひとりのアフガニスタン女性が公開処刑され、その様子を隠し撮りした映像が世界に流れた。タリバン政権下での殺人事件と、その背後にあったとされる家庭内暴力や男女の不倫。ひとりのアフガン女性の死の真相を追うなかで見えてきたアフガニスタンの闇とは―。(玉本英子・アジアプレス)

◆公開処刑の日

1999年11月、カブールの競技場でタリバンに公開処刑された女性、ザルミーナ。女性団体RAWAによって隠し撮りされた映像はひそかに国外に持ち出され公開された。(RAWA)

 

1999年11月16日、午後2時、カブールのサッカー競技場。ひとりのアフガニスタン女性がタリバンによって銃殺刑となった。
彼女の名前はザルミーナ。罪状は「夫殺し」だった。死刑執行は公開処刑のかたちで行われた。

2万人以上の大群衆が見守るなか、砂埃りが舞うグラウンドに赤い小型トラックが到着する。
荷台から青いプルカ姿の女性が降ろされ、サッカーのゴールポスト前に座らされた。

頭にターバンを巻いたひとりのタリバン兵がいきなり背後から近づき、カラシニコフ銃を女性の後頭部にあてる。
乾いた数発の銃声が競技場に響く。
女性は前のめりになって、崩れ落ちた。

その模様は小型ピデオカメラで隠し撮りされていた。テープはひそかに国外に持ち出され、世界に配信された。

アフガニスタンにまだ国際的な関心が寄せられていなかった当時、映像はタリバン政権の実態を暴くものとして衝撃を与えた。
この公開処刑の映像は、英国のテレビドキュメンタリー番組で流された。公開での銃殺と、その処刑を人びとが「鑑賞」している光景に、私はショックを受けた。そして、処刑された女性のことが気になってしかたなかった。どんな女性だったのか。なぜ処刑されることになったのだろう・・・。

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2002年2月。私はアフガンの地に降り立った。
アフガン女性の状況を取材するためだった。私の脳裏には公開処刑の映像が深く残っていた。私は、処刑された女性ザルミーナを追ってみたいと思った。それを通してタリバン政権時代、そして現在のアフガン女性の姿を描こうと考えたのだ。
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