「マオイストの本拠地ロルパ郡北部で会った人民解放軍の女性ゲリラ。武装ゲリラのほとんどが10代から20代の若者で、女性が約3割を占めると言われている」

マオイストの春
コイララの辞任にともなって新首相に就任したシェル・バハドゥル・デウバは、前首相とは正反対の戦略をとった。就任の翌日にあたる7月23日、マオイストとの停戦を宣言したのである。一方のマオイスト側も、すぐにこれに応じた。96年の人民戦争開始以来、最初の停戦が成立したわけだ。

この最初の停戦期間中、マオイストはこの世の春を謳歌することになる。政府との和平交渉が進むなか、デウバ政府が彼らの活動に対して放任主義をとったのをいいことに、マオイストは全国で党組織拡大に専念し、各地で郡レベル・村レベルの人民政府と呼ばれる自治政府を樹立するのである。

マオイストは各地で武装ゲリラも参加した大規模な集会を次々と開いた。その極めつけとして、9月21日に首都カトマンズ市内の中心にある広場で、20万人規模の集会を開くと宣言したのである。この日が近づくにつれて、中央政界では、こうしたマオイストの活動に我慢できない王室ネパール軍がクーデターを起こすのではないかとする噂が広まった。

噂を支持するように、地元紙は軍参謀長が国王に対して、「この集会でマオイストが反王室のスローガンをあげたり、武器を持ち込んだりしたら、軍が介入する」とする書簡を出したと伝えた。さらに議会政党内は混乱状態となり、与党のネパール会議派は緊急時にインド政府の支持を保つために、元外相をインドに送って準備にあたっていると伝えられた。

中央政界の動揺にもかかわらず、マオイストはまるで限られた時間内に開けるだけ集会を開いておこうとばかりに、首都圏を含めた都市部でも集会を開いた。公開集会ばかりでなく、9月はじめには本拠地であるロルパ郡北部のクレリ村で、党首「プラチャンダ」はじめ、党幹部のほとんどが集まって党総会を開催し、中央人民政府を結成している。

◆9.11を経て
ところが、こうした風向きを急に変える出来事が起こった。9月11日にアメリカで起こった同時多発テロ事件である。これを機に、マオイストに当たる逆風が一気に強まった。まず、これまでマオイストに対して柔軟な態度をとってきたデウバ政府は強硬措置をとらざるをえなくなり、15日に、「1カ月間、カトマンズを含む首都圏3つの郡でデモ・集会を禁止する」とする法令を発令。さらに、市民のあいだでも、この集会のために一般人からも強制寄付を募っていたマオイストに対する反感が高まりだした。

もっとも、軍による介入を予測して、「マオイストが予定どおり、この集会を開いていたら、火に飛び込んで自殺するような結果になっただろう」(日刊紙「カンティプル」)とする見方もある。「集会禁止令」は、集会開催を宣言したあと、引けるに引けない状況にあったマオイストの面子を保つために、デウバ政府と彼らのあいだで合意の下に出されたものだとも伝えられた。いずれにしても、「9.11同時多発テロ事件」はマオイストと政府のあいだで進行中の和平交渉にも、心理的な影響を与えた。世界的に反テロ組織感情が強まる空気のなかで、デウバ政府のマオイストに対する強硬な姿勢も強まっていった。

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