マオイストの兵士たちは女性や少年兵も多い。彼らは死を怖れず立ち向かってきた・・・。

ベニ・バザールの元グルカ兵が道で拾った81mm臼砲(真ん中)と2インチ臼砲(両脇)の弾丸。マオイストは自身が撃った81mm臼砲により、何人かの仲間が死亡したことを認めている。

“殺せ、さもなくば死ね”という戦い方
ベニ・バザールには、インド軍やイギリス軍で傭兵として働いたことのある元グルカ兵が大勢住んでいる。ベニのほとんどの住人が武装マオイストを怖がり、彼らと言葉を交わすことさえしなかったのに対して、元グルカ兵のなかには、彼らの戦闘の様子を冷静に観察していた人もいた。

郡警察署から数百メートル、路地を入ったところに住む元インド軍グルカ兵は、マオイストに関する印象をこう話した。
「彼らはベニの地理に疎いようだった。

手りゅう弾をとんでもない方向に投げたりしていた。一方で、敵の弾を早く終わらせるために、大きな音を立てて心理的圧力をかけたりする手法を頻繁に使っていた。武装マオイストが十分訓練を受けていることは確かだ。彼らがもっている武器の種類も王室ネパール軍に劣るとは思えないものだった」

ベニの地理に疎いのは、ほとんどのマオイストがミャグディ郡の外から来たからだ。ベニの人たちの証言によると、武装マオイストのほとんどは年齢が25歳以下のように見えたという。なかには、背中に背負ったライフルの銃口が地面にさわるほど幼い少年兵もいたという。しかも、3割から4割は女性兵士である。彼らの戦い方を見たマンガラガート・バザールに住むもう1人の元グルカ兵は言った。

「あれは気が狂った人間の戦いとしか思えない。ライフルの銃口は通常1時間を超える発砲には耐えられない。ところが、彼らは12時間ぶっ通しで戦いつづけたんだから」
負傷者を運んだり、武装マオイストを現場でサポートするために連れてこられた“ボランティア”たちに関して、この元グルカ兵は異なる印象をもった。

「ボランティアたちは、いかにも意志に反して連れてこられたようだった。彼らにとっては、“強制された戦い”だったようだ」
ベニ・バザールの南の端、郡裁判所前に住む元グルカ兵は、自宅前で発砲するマオイストを見た感想を話した。

「男も女も、彼らにはまったく恐れがないようだった。1人が倒れると、次の人がその銃を取り上げて撃ちはじめる。“殺せ、さもなくば死ね”というような戦い方だった」
襲撃も終わりに近づいた3月21日午前9時ごろ、この元グルカ兵の家の前では、81mm臼砲の弾により4人のマオイストが死亡している。
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