「マオイストは畑でひと仕事終えたかのように、のんびりと帰っていった」
夜が明けるころ、軍兵舎から東に400メートルほど行ったところにある郡開発委員会と郡行政事務所の建物は、炎に包まれていた。そこからさらに数百メートルほど東に行ったところにある郡警察署では、90人の警官と20人の軍兵士を率いるDSP(副警視)がポカラの治安部隊に対して、ヘリコプターの応援を求める最後の通信を試みていた。

襲撃開始から約2時間後に、電話が不通となったため、DSPは一晩中、通信機を通じて、ポカラの治安部隊に対して、応援のヘリコプターを求めつづけた。しかし、最初に来たヘリコプターが何もせずに戻り、明るくなっても、一向に応援が来ないことに落胆したDSPは、午前7時すぎ、通信機を放り投げ、マオイスト側に降伏することを決めた。

南側をミャグディ川に、東と北側を民家に囲まれた郡警察署は、マオイストにとって、郡兵舎よりもずっと占拠しやすかったようだ。彼らは、周囲にある民家の屋上から警察署に向かって発砲するとともに、敷地を取り巻く有刺鉄線を切断し、塀の3箇所に爆弾で穴を開けた。当夜、現場にいた警官の話しによると、マオイストは襲撃開始から2時間半たった21日午前1時半ごろには、警察署の敷地内に侵入して、至近距離から発砲を始めた。

午前7時半、DSPが降伏すると、マオイストは警察署内にある武器・弾薬を運び出し、建物に灯油をまいて火をつけた。火をつける前、警察署の屋上で、マオイストが武器を頭上に掲げ、踊りながら勝利の歓声をあげているのが目撃されている。

降伏した治安部隊のうち、DSPと30数人の警官、2人の軍兵士、そして、そのころすでに“囚われの身”となっていた郡行政長官(CDO)は、マオイストの“捕虜”として、一列に並ばされ、ベニのバザールを通って、連れ去られた。午前8時半ごろのことである。

このころも、軍兵舎に対する攻撃は続いていた。午前9時半と10時すぎ、再び軍のヘリコプターが上空に現れた。これが、マオイストに撤退の決定をさせたようだ。結局、軍兵舎を占拠することができないまま、午前10時半、西師団指揮官の“パサン”が襲撃の終了を宣言し、マオイストはベニから撤退しはじめた。撤退を決めたタイミングについて、“プラビン”はこう話している。

「すでに戦闘は予定よりも長引いていた。ヘリコプターが来ても、実際には何もできなかっただろう。もし、戦闘を続ければ、軍兵舎も占拠できたかもしれない。しかし、われわれは軍警察署を占拠し、郡の官僚トップである郡行政長官と郡警察のトップであるDSPを捕らえたことを勝利とみなして、撤退を決めたのだ」
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