2000年12月、うっそうとした山中の未舗装路を四輪駆動車で抜け、タイ・ビルマ国境に到着。しかし、雰囲気がおかしい...。緊張した国境越えを描く第2回。

2000年12月23日、カレン民族解放戦線第5旅団をめざして、タイ・ビルマ国境へ向かう。
(写真右:1993年当時のタイ・ビルマ領国境風景。)
バンコクから2日かけて、タイ北部の町メーサリアンにたどり着く。そこから公の交通機関を使い、さらに西へと進む。

ようやく国境が近づき始めたようだ。名のない村に入っって2泊し、連絡係のカレン人を待つ。連絡係のカレン人に、タイ語・ビルマ語・カレン語・英語を話す通訳と4輪駆動車を手配してもらう。

窓ガラスに黒いシールドを張った四輪駆動車は、ビルマ国境へ向かって舗装された国道を走る。タイの国境検問所を超え、車一台がやっと通れるだけの未舗装の道へと入る。2時間も走ると、いくつもの分岐道が現れる。うっそうとした山の中、どこをどう走っているのか分からない。途中、タイ国境警備隊の交代要員を1名乗せ、さらに約半時間、奥地に車を走らせる。

右手に突然、明るい風景が開けた。サルウィン河にたどり着いたのだ。サルウィン河は、タイとビルマを分ける自然の国境線である。切り立った斜面のあちこちには、不法に伐採されたチークの大木がころがっている。枝が切りとられ、白いペイントで通し番号も振られている。

河沿いに監視小屋が並んで3つ建つ。そのうちの1つに入って、ビルマ側に渡るボートを待つ。だが、なにやら雰囲気がおかしい。国境を警戒するタイの情報部員に見つかってしまった。そのタイの情報部員は私の前には姿を見せない。隣の小屋に入ったまま、通訳を通して私の身元を探っている。案内役のカレン人通訳では、情報部員を説得して私がビルマ側に渡る理由を納得させられないようだ。

ビルマ側のカレン支配区に無線を飛ばした。無線連絡を受けて半時間後に姿を現したのは、サルウィン河周辺を管轄するKNLA(カレン民族解放戦線の)将校ド・ウイン氏であった。彼のひとことは、タイの情報部員を納得させた。
「この日本人は、カレンの新年祭取材のため、ちょっとだけビルマ側に渡るんだ、何も問題ない」
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