(写真右:ビルマからタイへ逃げ出してきたカレン人難民(2000年4月))
小型エンジンがついたボートでサルウィン河を1時間ほどさかのぼる。乾季の空は真っ青だ。しかし、河の水は濁っている。季節に関わらず1年中、土砂を北から南へと流し続ける大河だ。次の中継地点へたどり着く。緊張がほぐれる。

時計はほとんど役に立たない山の生活だが、国境を越えた習慣として腕時計を30分遅らせ、ビルマ時間に合わせる。
連絡が入った。次の中継地点へ移動するのに、河原沿いのカレンの村であと2日間待たなければならない。サルウィン河を目の前にした小屋でくつろげるなら、願ってもない。河の冷たい水で身体を洗う。

河で水浴びをすると、やっと戻ってきたんだな、という感覚が戻ってくる。河を隔てて、タイ領がすぐ目の前にあるといっても、ここはビルマ領内のカレン解放区だ。気を抜くのは禁物だ。いつビルマ軍の奇襲に遭うか分からない。

チベット高原に源を持つ全長約2400kmのサルウィン河は、途中タイ・ビルマを隔てる国境となり、アダマン海に注ぎ込む。英語でいう「サルウィン」とは、ビルマ語のタンルィンがなまった呼び方で、カレン語では「ホロー・クロー」と言う。ホロ・クローとはカレン語で、「(北から南へ)下る・移動する河」を意味する。

次の出発を待っている間に幸運に恵まれた。本当にカレンの新年を祝う集いに参加することができたのだ。今年のカレンの新年は、12月25日だ。夜明けを待たずして、近辺の村から家族総出でカレンの村人が集まってきていた。30名ほどのカレン兵が整列し、これまでの戦闘で命を落とした兵士に対して黙祷を捧げ、ギターを片手に歌う、簡単な儀式である。

写真を何枚か撮る。帰国後、写真に写ったカレン兵を眺めていた。1人ひとり兵士の表情を確認する。すると、なんと、タイ側で何度か顔合わせをしたタイの情報部員が写っていた。カレン兵士面で1緒に整列している。これは一体どういうことだ。
050216_03.jpg写真:ビルマ領カレン州内、カレン民族同盟(KNU)の支配
地の一部にて「カレン新年」の祝いが行われた。約
30名のカレン兵が整列した(2000年12月25日)
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