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【写真:僧侶のデモの中心地となったシュエダゴン・パゴダ(東入口)。デモ終結から10日経つが、参拝する人の姿は戻ってきておらず閑散とした風景であった。(2007年10月撮影)】

※お断り ミャンマー(ビルマ)入国取材の安全を期して、宇田有三氏は「大場玲次」のペーネ  ームを使用していましたが、民主化の進展に伴い危険がなくなりましたので、APN内の記事の署  名を「宇田有三」に統一します。

ラングーンの中心部スーレー・パゴダを訪れてみた。
これまでと同じように人びとは仕事の行き帰りにパゴダの境内に入り、手を合わせて拝んでいる。
スーレー・パゴダの横に建つのは、ヤンゴン市庁舎(通称YCDC=Yangon City Development Council) である。
ここは、英国の植民地主義に抵抗する抗議運動が起こった場所であり、現在の軍事政権のヤンゴンにおける橋頭堡ということで、反軍事政権を唱える人びとにとっても象徴的な場所でもある。

さらに昨年から何度か、生活苦から単独で抗議デモやビラまきがあった場所である。
そのYCDCの前には、軍用のトラックが数台止まって、なんだかいつもとは様子が違う。
それでも「緊張している」とまでは言えない。

おおっぴらにカメラを出して市庁舎を撮影しても、なんら問題はなかった。
今回の抗議デモは、「88年世代グループ」の拘束により完全に収束に向かいそうだな、というのが私の判断であった。
実は、この「88年世代のグループ」のリーダーの一人ココジー氏(45)と2007年6月、ラングーン市内の喫茶店で密かに会っていた。
喫茶店の薄暗い角の席に座って1時間半ほど話し込んだ。

「ところで、西欧諸国がビルマに課している経済制裁についてどう思いますか。賛成ですか、それとも反対ですか」
彼は、テーブルの上の飲み物をじっと見つめ、即答を避けていた。
「どうですか」
私はたたみかけるように返答を催促した。

彼は、答えづらそうに口を開いた。
「2つに1つじゃないんですよね、(ビルマの)外にいる人は、簡単に賛成か反対かの質問しますけど。もし可能なら、その『あいだ』の答えがあれば一番いいんです。つまり経済制裁によって政府は困るけれど、一般市民には影響のない方法があれば。その間の方法があれば一番いいんですけど」
私はこれまで、この同じ質問を隣国タイや日本にいるビルマ関係者-ビルマ人の民主化活動家・NGO(非政府組織)や援助機関で働く欧米人-に投げかけてきた。
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