揺れるカシミール 廣瀬和司の緊急現場報告~死者も無く、しかし、緑の旗も立たず(2008/10/7)

【外出禁止令は解除され、町は平穏を取り戻した】

 

【スリナガル発(インド側)】
結論から言うと、10月6日は何も起こらなかった。今日7日は連携委員会が「ラル・チョークへ向かえ」を一旦中止する声明を出したことから、すでに外出禁止令は解除されて町は平穏を取り戻している。連携委員会は明日会議を開いて今後の方針を決めるという。

前日から外出禁止令が敷かれ、当日はより厳しいものとなった。町の随所に兵士や警官が立ち、誰も外に出るのを許さない。スリナガルから30?離れたバラムラ地区では外出禁止令を破って数百人がデモをしたらしいが、大きく目立ったのはそれだけだった。
私は市内のホテルにいたのだが、隣の部屋にはインド人のビジネスマンが泊まっていた。何やら騒ぎがあるのでホテルに人に訊いてみると、そのインド人の同僚が彼の泊まっているホテルに来ようとした。

しかし、警備のCRPF(軍隊と警察との間の準軍隊)は彼の同僚が許可証をもっているのにもかかわらず通行が許されなかった。それどころか許可証は破られ、同僚は殴られて泣いて電話をしてきたという。許可証を持っているインド人ですらこうなのである。

【非暴力とは、言うが易く、行うが難きということか】

全国ニュースでは、スリナガルでいかに厳しい警備体制を敷いて集会を阻止しているか各局が競って放映していた。それはかえってインド側がいかにこの行進を恐れ、焦っていたかをよく表していた。

10月2日はマハトマ・ガンディーの誕生日だった。その日の新聞にはインドの情報省がそれを祝って「非暴力」を謳った広告を出していた。

そして、今のカシミールの人びとも集会は非暴力で行うことを徹底している。しかし、カシミールの人びとの非暴力は許してもらえない。

死傷者がでなかったのはよかった。しかし、準備が1ヵ月半近くあったのだから、連携委員会はもう少し何かやりかたはあったのではないか、という疑問も私にはある。事前に通知すれば外出禁止令を出されるのはわかっているのだから、何か裏をかくというか、意表をつくことが必要だろう。
何度も同じことがおこれば、運動自体が停滞してしまうし、連携委員会のへの信用性も失われてしまうだろう。

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