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【労働法制の規制緩和を進める法律制定や法律改定が、国会でなされてきた】
【労働法制の規制緩和を進める法律制定や法律改定が、国会でなされてきた】

第7章
若き派遣労働者の過労自殺

大きな構造のなかの犠牲
勇士は業務請負として就労したことになっていたが、実質的には派遣労働者だった。ニコンの労務管理・業務指示すなわち指揮監督の下で働いていたからである。
本来、業務請負とは、業務請負会社が他の企業から特定の業務を受注して完成させ、報酬を得る。
職業安定法施行規則に規定された以下の4要件を満たさなければならない。

1.作業の完成について事業主として財政上・法律上の全ての責任を負う。
2.作業に従事する労働者を自ら指揮監督する。
3.労働者に対し、使用者として法律に規定された全ての義務を負う。
4.自ら提供する機械・設備・材料などを使用し、企画もしくは専門的な技術もしくは専門的な経験を必要とする作業をおこなうものであって、単に肉体的な労働力を提供するものではない。

しかし、実態としては、製造業では業務を発注した企業の機械・設備・材料などを使って作業するケース(企業からの貸与のかたちをとって)が多い。
指揮監督も自らおこなうのではなく、製造企業側の指揮監督を受けているケースが多い。
近年、社会問題化した違法な「偽装請負」である。

つまり、前述の4要件を満たさないものは、職業安定法で禁じられた労働者供給事業にあたり、違法なのである。
なぜ労働者供給事業が禁止されたかといえば、かつて戦前の日本社会では、「人入れ稼業」や「人夫請負業」などと呼ばれた労働者供給事業の下、多くの労働者が賃金のピンはねや強制的な労働といった人権侵害を受けたからである。
戦後はアメリカによる占領下、GHQの日本民主化政策の一環として、1947年制定の職業安定法で労働者供給事業は禁止された。

しかし、これまで日本政府が労働者供給事業の禁止を徹底させるために、厳しい監督や指導や取締りなどをしてきたとはいえない。
前述した職業安定法施行規則に規定された4要件も、1952年の改定以前は、4.の「企画もしくは専門的な技術もしくは専門的な経験」の部分は、「専門的な企画、技術」とされていた。
それを、「企画」から「専門的な」をはずしたうえで、「専門的な経験」を付け加えることで規制を緩和し、4要件をゆるやかに解釈する道を開いたのである。

この規制緩和の背景には、人件費が安く、いつでも解雇可能な労働力を欲する企業側の思惑があった。
その結果、自前の機械・設備・材料などを持たず、「専門的な技術」も備えているとはいえない請負業者が、「専門的な経験」を提供するという名目で業務を請け負えるようになった。

自ら募集した労働者を発注企業の工場など構内に送り込み、請負業者の現場監督の指揮で、企業の機械・設備・材料などを使って(貸与されたというかたちをとって)作業するやり方である。企画も専門的でなくてもよくなった。

こうした就労形態で働く労働者は、企業に直接雇用された正社員の「本工」とは違って、非正規雇用の「社外工」と呼ばれた。

その後、請負業者の現場監督の指揮ではなく、発注企業の指揮監督のもとで請負労働者が働く「偽装請負」が蔓延していったのは周知の通りである。本来は違法の労働者供給事業が黙認されてきたのである。

1985年には労働者派遣法が制定されるが、それはこのような業務請負の規制緩和と労働者供給事業の黙認の延長線上にある。
考えてみれば、人材派遣という就労形態も本質的には労働者供給事業と通底したものだといえる。
業務請負や人材派遣の本質は、労働者をいわば「商品」として送り込み、中間でマージンを取って利益を得るものだ。
そして、安価で使い勝手のいい「商品」、「人的資源」としての労働力を欲する企業と市場のシステムが、その背後にある。
勇士はこのような構造のなかで犠牲にされたのだった。~つづく~
(文中敬称略)

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