"辺境"の風景(上)

※お断り ミャンマー(ビルマ)入国取材の安全を期して、宇田有三氏は「大場玲次」のペーネームを使用していましたが、民主化の進展に伴い危険がなくなりましたので、APN内の記事の署名を「宇田有三」に統一します。

村人の総出で吊り橋用のワイヤーを運ぶ。平野部のビルマの2月は乾季の真っ最中であるが、山の天気はこの間、多くの日で雨となる。

村人の総出で吊り橋用のワイヤーを運ぶ。平野部のビルマの2月は乾季の真っ最中であるが、山の天気はこの間、多くの日で雨となる。

 

チベットといえば、私が単純に頭に思い浮かべるのは、チベット仏教である。その教えの詳細は承知しないが、ビルマ仏教そのものである南方上座部仏教とは異なるということくらいは分かる。

タフンダン村を見渡す丘の上に、それこそ村の中心に、黄金に輝くパゴダ(仏塔)が燦然と建つ。これは1992年に建立されたビルマ式のパゴダである。村に入った時に感じた違和感は、まさに、チベット人の村に、どうしてパゴダが? ということである。

平地のビルマ人の村では通常、村の中に建つパゴダは、住民によって手入れがなされる。敬虔な仏教徒のビルマ人にとって、パゴダの建立や維持は、生活の一部になっているからだ。だが、タフンダンの村のパゴダは、チベットの人の生活には全く無関係に建っている。

2002年当時に撮影されたこのパゴダの写真を見てみると、当時は真っ白な漆喰の姿をしている。それが今は金色である。この5年の間に、そのパゴダは確実にグレードアップ している。それはどういうことなのか。それは、軍事政権のビルマ仏教を後押しする国としての政策が、ここまで押し寄せている証拠である。

プータオを出て、7日目のことを思い出す。シンシャという山中の簡易宿泊所で、ビルマ軍の若い将校に出会った。こんな山奥で、ビルマ軍兵士に出会うとは。さすがにドキッとした。
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