冀中星の実家で取材に応じる父・太栄氏 撮影は山東省 10月23日

冀中星の実家で取材に応じる父・太栄氏 撮影は山東省 10月23日

実家の庭には、母屋とは別に白いプレハブがあった。赤茶けた土地の埃っぽい農村には不釣り合いな仮設住居のようにも見える。少し高くなった入り口 と、庭のむき出し土の表面とを、セメントを流して作ったスロープが繋いでいる。半身不随となって実家に戻ってきた息子のために、太栄氏が建てた部屋とい う。

部屋の中は、長方形の会議室くらいのスペース。ベッドと麻雀卓、乗り手のいなくなった車椅子が目に入った。ベッドには、綿のはみ出た布団。床ずれの膿みが至る所に染みていた。

太栄によれば、冀は、窓際に置かれたベッドに横になり、コンピューターでゲームをして過ごす時間が多かったという。おそらく、この窓際に横になりな がらブログを綴り、自ら窮状を外の世界に訴えようとしたのだろう。彼のコンピューターは警察にすでに押収されて今は無く、電話線と電源を引く為の延長コー ドがだらりと床に落ちていた。
冀は聡明な子供だった、と太栄氏は言う。しかし、半身不随となって、実家に戻ってからは、塞ぎこむことも多かったようだ。 「あんなに若いのに、走ることもできない。イライラしないはずはない。機嫌が悪い時には、私と言い争いになり、私が話を聞かないで出てってしまうと、ここ で、一人で泣いていました」

しかし、冀は父との争いは努めて避けていたという。 「私が食事も作ってあげなければいけないし、水も汲んでやらなくてはいけないし、便も出してやらなければならないから」

冀には、結婚を考えたガールフレンドがいた。しかし、冀が半身付随になったことを知って、離れていってしまった、という。   太栄は、息子が密かに爆弾を作っていたことなど、思いもよらなかったという。しかし、冀が言った言葉を今も覚えている。

「自分が家にいなければ、(父さんが)自分を押して行く必要がない」。

太栄は「どうやってお前が、家からいなくなることができるのだ」と言葉を返した。そのやり取りは、冀が車椅子で北京に向かい爆発事件を起こす数日前だったという。(続く)
執筆者プロフィール

宮崎紀秀
1970年生まれる。元日本テレビ記者。警視庁クラブ、調査報道班などを経て中国総局長。中国滞在は約6年。北京在住。

※アイ・アジアは調査報道のための非営利組織です。
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