安倍内閣が7月1日、集団的自衛権を使えるよう閣議決定で憲法の解釈を変えた。これまで憲法が禁じてきた海外での武力行使を認める内容で、 ときの政権の判断で自衛隊が米軍と一緒に戦闘活動に参加できるようになる。元自衛官はどう見ているのか、兵庫県姫路市の泥憲和(どろ・のりかず)さん (59)を訪ねた。(矢野 宏 新聞うずみ火)

集団的自衛権について、元自衛官の泥憲和(どろ・のりかず)さんは「他国のために自国の兵を犠牲にすること。日本を守るものではありません」と言い切った。(兵庫県姫路市で撮影。矢野 宏)

集団的自衛権について、元自衛官の泥憲和(どろ・のりかず)さんは「他国のために自国の兵を犠牲にすること。日本を守るものではありません」と言い切った。(兵庫県姫路市で撮影。矢野 宏)

◆軍事で、できないことがある

集団的自衛権について、泥さんは
「他国のために自国の兵を犠牲にすること。日本を守るものではありません」と言い切る。

「売られた喧嘩に正当防衛で対抗するというものではなく、売られてもいない他人の喧嘩に、こちらから飛び込んでいこうというものです。自衛隊の仕事は日本を守ること。縁もゆかりもない国に行って、恨みもない人たちを殺して来いと、安倍総理は自衛官に言っているわけです」

他人の喧嘩を買いに行ったらどうなるのか。

「逆恨みされます。だから、アメリカと一緒に戦った国はテロに遭っています。イギリスもスペインもドイツもフランスも、みんなテロ事件が起きて市民が何人も殺害されているではありませんか」

さらに、泥さんは「軍隊はテロを防げない」と語り、こう言い添えた。

「軍隊は目の前に敵がいてこそ戦える。見えない敵とは戦えないのです。世界最強のアメリカ軍がテロを防げないのですよ。自衛隊が海外の戦争に参加し て、日本がテロに狙われたらどうしますか。自衛隊はテロから市民を守れません。テロの被害を受けて、そのときになって、自衛隊が戦争に行っているからだと 逆恨みされたのではたまりません。だから、私は集団的自衛権には絶対に反対なのです」

泥さんは1969年3月、中学校を卒業後、親に勧められて陸上自衛隊少年工科学校(現・高等工科学校)に入校した。少年工科学校は、陸上自衛隊武山 (たけやま)駐屯地(神奈川県横須賀市)の中にある陸上自衛隊唯一の「高校」で、採用試験を経て陸上自衛隊生徒に任命された者が入校できた。

普通の高校と同じ教科と教練(電子工業など)の前期教育を終了すると、職種ごとに職種学校に入校することになっていた。泥さんが選んだのは「高射特科」。旧日本軍における砲兵科である。

4年間の教育終了とともに3等陸曹に任官。青森県の八戸駐屯地に赴任し、防空ミサイル部隊に配属された。日本に攻めてくる戦闘機をミサイルで打ち落とすのが任務だった。その後、退官したあと、姫路市内で皮革工場を営んできた。

少年工科学校時代、教官から「自衛隊は旧軍隊ではない。憲法を守って戦う」ということを懇々と教えられたという。

「相手が撃ってこないうちに撃ってはいけないと教えられ、同窓生の一人が『誰かが死んでからでないと反撃できないのですか』と質問すると、教官は『そうだ』と答えました。そのやりとりが今でも忘れられません」

横須賀は太平洋戦争まで軍港として発展し、今も在日米軍と自衛隊の基地がある。反戦デモがあったときは外出禁止になった。少年工科学校の生徒たちは暴漢が入ってこないよう木銃を持って警備にあたった。

制服組の教官が泥さんたち学生にこう言ったという。
「日本の中には君たちの存在を否定する国民もいる。われわれは一朝ことあるときは、我々を否定する国民を守ることが我々の仕事である。否定されるのは面白 くない話であるが、言論の自由を守るためには国の独立が必要である。それゆえに、君たちは任務を遂行するのである」――。

自衛隊を退官したものの、年1回に同窓会が開かれ、泥さんも参加している。

同窓生の中にはイラクに派遣された自衛官もいて、『怖くなかったといえば嘘になる』と言っていました。『泣き言は言わないが、二度と行くのは嫌だ』とも話していました」

それだけに、憲法解釈を変えてまで、後輩である自衛官が本来行かなくてもいい危険地帯へ行かされることに黙っていられないという。(つづく)
【矢野 宏 新聞うずみ火】

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