Q. ミャンマーの歴史や民族の話が入ってきて、ロヒンギャ・ムスリムの話がよく分からなくなってきました。
A.
 ミャンマーという国家が形成される過程で、「ロヒンギャ問題」が生まれたのです。その国家形成の過程は、半世紀の軍事政権という時代を挟んでしまったため、民政移管後にロヒンギャ問題に取り組もうと思っても、ある意味長期間の空白が生まれてしまったのです。

その結果、どの国家にも属さない、最も虐げられてきたロヒンギャという人びとの集団をどうやって保護するのかという問題が、ミャンマーの国内外で様々な問題を含みながら表面化してきたのです。その問題は、大きく2つの立場が絡み合っています。

(A)ミャンマー政府の立場:ベンガリ(ベンガル人)たちは英国の植民地時期にバングラデシュからミャンマーに入ってきた移民で、その後バングラデシュに戻らず、そのまま居着いた不法移民である。彼ら彼女たちはミャンマー国民ではないから保護する義務はない(政府は「ロヒンギャ」という呼称を認めず「ベンガル」を使う)

(B)ロヒンギャの立場:自分たちは歴史的にそこ(ラカイン州北部)に暮らしてきていた土着(先住)民族なのだから、それを認めないビルマ政府はおかしい。

この(A)と(B)が争点として対立しています。

Q. では、(B)のロヒンギャたちの主張はどの程度正しいのですか?
A.
 どちらが正しい、正しくない、という質問の前に、考えておかなければならいことがあります。歴史や文化、民族などが複雑に絡んだ問題に簡単に答えを出そうとするから、かえって「ロヒンギャ問題」が複雑になってきたのです。

軍政時期のミャンマーの状況は、強大で抑圧的な軍部が人びとを支配してきました。多くの人が民族・宗教の区別なく、「平等に抑圧」されました。そういう状況下で、抑圧する巨大な軍部の力に反発・抵抗するよりも(それは命がけですから)、自分たちよりも得をしているように見える目の前の人に対して、嫉みの目が向けられるという人間社会の性(さが)が醸成されました。そこに感情的な歪みが生まれてきたのです。

私が見聞きした話の一つに、ロヒンギャ同士の対立の現実もありました。

「ロヒンギャを巡るさまざまな問題によって引き起こされる不平不満は、本来の難民の流出の原因であるビルマ軍政にではなく、目の前の人にだけ向けられている。」

(『週刊金曜日』2010年、790号)

(つづく)

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宇田有三(うだ・ゆうぞう) フリーランス・フォトジャーナリスト
1963年神戸市生まれ。1992年中米の紛争地エルサルバドルの取材を皮切りに取材活動を開始。東南アジアや中米諸国を中心に、軍事政権下の人びとの暮らし・先住民族・ 世界の貧困などの取材を続ける。http://www.uzo.net
著書・写真集に 『観光コースでないミャンマー(ビルマ)』
『Peoples in the Winds of Change ビルマ 変化に生きる人びと』など。

 

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