彼はシュハーダ地区の民家で爆弾の炸薬を調合する小さな製造施設で指導官をしていました。地元のシリア人のIS戦闘員にも爆弾製造を教えていたとのことで、自爆突撃に使う車両、ロケット砲など様々な爆弾を製造していたとのことです。

これまでISは給料を支払ってきましたが戦闘が激しくなった5月、6月と停止されたそうです。7月には地区が空爆されるなどしたため、地元住民と一緒に逃げたということでした。

彼は「一緒に『イスラム国』建設に携わりたいと思っていたが、私の信じるイスラムとは違い、宗教観に違和感を覚えた、後悔している」と話しました。釈放されてチュニジアに戻って両親に会いたいと言いますが、それは難しいでしょう。現在の生活について聞くと「刑務所ですから…」と言ってうなだれていました。(つづく)【玉本英子】

ISには外国人戦闘員が多数参加した。なかでもサウジアラビアやチュニジア出身者が多い。この男もチュニジア人で、シリア民主軍(SDF)に拘束された。(8月中旬ラッカ郊外でハイサム・ムスリム撮影)

<<<<シリア>現地記者に聞く~イスラム国(IS)との戦闘続くラッカ前線で(1)避難民脱出(写真8枚)

【関連記事】
<シリア・ラッカ内部>跋扈する外国人戦闘員(写真6枚)
<シリア・ラッカ内部>「ヤツを焼いたとIS戦闘員は言った」(写真6枚)
<シリア・ラッカ内部>空爆で住民犠牲相次ぐ(写真8枚・図1点)

★新着記事