KNLA第6旅団内のドーナ山脈をバイクで越え、タイ国境に向かう。村から村へ、たすきをつなぐように乗り換え、運んでもらった。

◆都市攻略戦

タイ側に戻る際、治安上の理由から、車ではなくバイクで、ドーナ山脈を越えて、国境に向かうことになった。それまで車で同行してくれていた関係者とは、途中の村で別れた。

「都市攻略戦のときには必ず戻って来いよ」

別れ際、サンティン副大隊長は、冗談交じりにそう言った。

今後、少数民族武装勢力やPDFが、ヤンゴンなどの都市を陥落させるような事態が起こるだろうか。

カレン人の若者が運転するバイクの後部で、私は流れる風景を眺めながら、そんなことを考えていた。途中いくつかの村を通過し、何度かバイクと運転手が交代した。

カレンの村の家の下には大抵、防空壕が掘られている。最近の空爆用につくられたものではなく、砲弾や銃弾を避けるために昔からあるもの。

カレンの村の家の多くには、防空壕が掘られていた。現在の空爆のためにつくられたものではない。カレンの人びとにとっては、ずっと昔から戦闘があり、銃弾や砲弾を避けるため、防空壕に身を隠すことは、日常的な所作だった。

カレン民族が1949年に蜂起した直後、ヤンゴンを陥落させる寸前まで迫ったといわれる。しかし、その後、カレン民族勢力は内部分裂を重ね、弱体化の一途をたどった。それでも、現在まで国境地帯で隠然たる勢力を保ってきた。

1988年の民主化運動弾圧と軍事クーデターのときも、多くの若者がカレン解放区に逃れた。KNUから軍事訓練を受け、武装闘争に参加していった。そして、2021年、再び軍がクーデターを起こし…同じくり返しのようなことが起きている。

くり返し、くり返し、人びとは、どこにたどり着こうとしているのか。その行方を見つめていきたい。

<了>

※写真はすべて、2023年2月にミャンマー・カレン解放区で赤津陽治撮影。

<ミャンマー現地報告>内戦が深刻化するミャンマー・カレン解放区(1)タイ国境の街から解放区内へ
<ミャンマー現地報告>内戦が深刻化するミャンマー・カレン解放区(2)地上戦の劣勢から空爆を多用する国軍
<ミャンマー現地報告>内戦が深刻化するミャンマー・カレン解放区(3)都市から逃れてきた人びと

 

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