iraq_yazidi_bannerX600_04イラクの武装組織「イスラム国」による集団殺戮と迫害にさらされているヤズディ教徒。しかし、かれらへの迫害は今に始まったことでは ない。イスラム教から「邪教」とみなされたため、激しく排撃された。オスマン帝国時代にも厳しい迫害を受け、1970年代の旧フセイン政権下では村落破壊 と強制移住を強いられる。政権が危険視したクルド系住民として弾圧され、イスラムからも抑圧される。さらにかれらが追放された土地は無人の土漠地帯。クル ド語を話すヤズディ教徒だが、イスラム教スンニ派が主体のクルド人からも異端の宗教として厳しい目を向けられることも少なくかった。苦難は幾重にものしか かった。そして今また、「イスラム国」によって町を奪われ、多くのヤズディ教徒が故郷を放棄せざるをえない状況に追い込まれている。【報告:玉本英子】
第4回◆苦難の歴史

ヤズディ教徒の歴史は、苦難の連続だった。過去に何度も迫害や弾圧にさらされてきた。イラク北部地域にはキリスト教徒の村も点在するが、国際的な関心が寄せられるキリスト教徒に対し、ヤズディ教徒は存在すらほとんど知られてこなかった。(シェハン・2005年)

ヤズディ教徒の歴史は、苦難の連続だった。過去に何度も迫害や弾圧にさらされてきた。イラク北部地域にはキリスト教徒の村も点在するが、国際的な関心が寄せられるキリスト教徒に対し、ヤズディ教徒は存在すらほとんど知られてこなかった。(シェハン・2005年)

フセイン政権は、クルド民族は反体制独立運動を指向するとして徹底弾圧した。ヤズディ住民はクルド系ということで潜在的に危険な存在とみなされた。強制移住で解体された村も多い。クルドの民族性を抹消する目的で、アラブ化がおこなわれるなどした。写真はフセイン政権下の1970年代に強制移住させられ、破壊ののち無人化されたニナワ県のビルスタック村。周囲には何もなく、壊されたヤズディ教の聖塔クッブだけが残っていた。(モスル近郊・2005年)

フセイン政権は、クルド民族は反体制独立運動を指向するとして徹底弾圧した。ヤズディ住民はクルド系ということで潜在的に危険な存在とみなされた。強制移住で解体された村も多い。クルドの民族性を抹消する目的で、アラブ化がおこなわれるなどした。写真はフセイン政権下の1970年代に強制移住させられ、破壊ののち無人化されたニナワ県のビルスタック村。周囲には何もなく、壊されたヤズディ教の聖塔クッブだけが残っていた。(モスル近郊・2005年)

ヤズディ教はクルド系ということ、そしてイスラム教からは「邪教」とみなされたことで、二重の抑圧にさらされてきた。クルドの土着宗教とされながら、スンニ派がほとんどのクルド社会のなかではヤズディへの理解は乏しいのが実情だった。イスラム教徒のクルド人からさえ、「怪しい信仰集団」という偏見を持たれてきた。(シェハン・2005年)

ヤズディ教はクルド系ということ、そしてイスラム教からは「邪教」とみなされたことで、二重の抑圧にさらされてきた。クルドの土着宗教とされながら、スンニ派がほとんどのクルド社会のなかではヤズディへの理解は乏しいのが実情だった。イスラム教徒のクルド人からさえ、「怪しい信仰集団」という偏見を持たれてきた。(シェハン・2005年)

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