iraq_yazidi_bannerX600_052003年のフセイン政権崩壊後、あらたな歩みを始めたイラク。抑圧は終わり、宗教的共存のなかで暮らしていける、とヤズディ教徒は 期待した。しかし、イスラム武装勢力が台頭し、さらなる暴力にさらされることになる。ヤズディの多いイラク北部で集団殺戮、自爆攻撃の標的となった。住民 が爆弾で狙われ、処刑も多発する。イスラム武装勢力は、キリスト教よりもヤズディ教徒に激しい憎悪を抱く。「邪教」とされてきたため、ジハード(聖戦)で 打ち倒す対象となったからだ。クルディスタン地域からの治安支援でようやく地域に安定が見え始めつつあった矢先、「イスラム国」が町になだれ込んだ。2012年に取材した写真の地域は、現在、「イスラム国」の支配下に置かれている。【報告:玉本英子】

第5回◆フセイン政権崩壊後~武装勢力の標的に

イラク北部ニナワ県のヤズディ教徒の町シンジャル郊外のギルオゼール(アラブ名ハタニア)で2007年8月14日、町の中心地に爆弾と積んだトラックが爆発、375人の死者と400人を超える重軽傷者を出した。イスラム武装勢力アンサール・スンナ軍がヤズディ教徒殺戮を狙ったものとされる。爆弾事件の死者数は多くて50人前後だが、1回の爆発で400人近い死者が出たということから多量の爆薬が使われたと推測される。写真の石碑があるのが爆発現場。爆発時は地面が数メートルえぐりとられた。(ギルオゼール・2011年)

イラク北部ニナワ県のヤズディ教徒の町シンジャル郊外のギルオゼール(アラブ名ハタニア)で2007年8月14日、町の中心地に爆弾と積んだトラックが爆発、375人の死者と400人を超える重軽傷者を出した。イスラム武装勢力アンサール・スンナ軍がヤズディ教徒殺戮を狙ったものとされる。爆弾事件の死者数は多くて50人前後だが、1回の爆発で400人近い死者が出たということから多量の爆薬が使われたと推測される。写真の石碑があるのが爆発現場。爆発時は地面が数メートルえぐりとられた。(ギルオゼール・2011年)

爆弾事件で亡くなった375人のうち、多数の家族が犠牲者に含まれていた女性。「私たちがなぜ狙われるのか、何をしたというのか」と嘆いた。(ギルオゼール・2011年)

爆弾事件で亡くなった375人のうち、多数の家族が犠牲者に含まれていた女性。「私たちがなぜ狙われるのか、何をしたというのか」と嘆いた。(ギルオゼール・2011年)

小さな町では、どの親戚、友人のなかにも犠牲者がいた。武装勢力アンサール・スンナ軍による爆弾事件の犠牲者の写真。(ギルオゼール・2011年)

小さな町では、どの親戚、友人のなかにも犠牲者がいた。武装勢力アンサール・スンナ軍による爆弾事件の犠牲者の写真。(ギルオゼール・2011年)

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