(※2003年初出のアーカイブ記事。情報等は当時のまま)

◆ザルミーナの娘たちのもとへ

地方の州では米軍を始めとした国際部隊がタリバン掃討作戦を続けていた。(2002年7月)

 

カブールでジープを借り、西に延びる幹線道路をひた走る。
穴だらけのがたがた道で車内の天井に何度も頭をぶつけながらおよそ5時間。

ようやくワルダック州にあるザルミーナの長女が嫁いだ村にたどりついた。

パシュトゥン人が暮らすこの村は、戦争があったことを忘れさせるほど静かで、のどかだった。

どの家も外から見えないような高い土塀でかこまれ、まるで要塞のようだ。

ナジバが嫁いだのはパシュトゥン人の保守的な農村だった。写真はワルダック近郊に広がる農村地帯。(2002年8月)

私はブルカをかぶって車から降り、家のなかにはいった。
叔父は家の主と男たちの部屋へ向かう。

私と女性通訳は、奥まったところにある女性用の別室へ通された。
10人ほどの女性たちが、私たちの突然の訪問に驚きながらもあたたかく迎えてくれた。

ひときわ笑顔が愛らしい女性が、ザルミーナの長女ナジバ(20)だった。
ザルミーナに似ていると叔父から聞かされていたので、その面影を彼女の顔から感じとろうしてみた。

彼女は農業を営む夫と二人の子ども、夫兄弟の家族の30人でひとつの家に暮らしていた。
5年前、ザルミーナが刑務所に入ってすぐに結婚が決まったという。

ナジバは兄嫁たちに命じられ、お茶やお菓子の用意に忙しくうごきまわっていた。
私はトイレに連れていってほしい、とナジバに頼むことで彼女ひとりを中庭へ連れだした。

処刑された母親の話で彼女が傷つくようなことはしたくない。
私は慎重に言葉を選びながら、お母さんのことを聞いていいですかと、ナジバにたずねた。

すると、彼女はあっさりとした表情で、いいわよ、と答えた。
ナジバは事件について当時を思いだしながら、話しはじめた。
彼女は事件の第一発見者だった。
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