◆釜山で遺族会発足

山本さんはさらに、8月30日に韓国・釜山での「遺族会」結成式に参加したことを紹介、「会の名前は『関東大地震朝鮮人大虐殺犠牲者遺族会』。ただの虐殺ではなく、大虐殺。そこからして認識が違う」と話し、こう言い添えた。

「94年目の夏は、歴史を隠ぺいしようとする取り組みと、明らかにしていこうとする遺族会の取り組みが同時に進行した。大きな歴史の曲がり角と受け止め、いまこそ真相究明の動きを強めなければならない」

遺族会の結成式には、虐殺の実相を追うドキュメンタリー監督で在日コリアン2世の呉充功(オ・チュンゴン)さんが取材した7家族12人の遺族が集まった。呉さんは「関東大震災から94年、遺族が集まるのに時間がかかったのは日韓両政府に責任がある」と切り出し、5年間の取材でつかんだ実態について語った。

「ほとんどの人が貧しい村を出て釜山港からに日本へ渡り、1年か2年のうちに殺された。その多くが日本語もわからず、山に追われ、川に追われ、海に追われ、道もわからず殺された。長男が多く、20歳代後半から30歳代。家族の方はどこでどうしているのか未だにわからない。遺族の中には家族6人が殺された人もいた。長男、次男、三男、長男の妻、その子ども、妻のお腹の中には新しい命も宿っていたが、刀で切り裂かれた」

前日の「そよ風」の慰霊祭も目撃した呉さんは「なお虐殺の事実を認めず、歴史をねじ曲げようとすることは、殺された朝鮮人の死者に対する冒涜。虐殺された朝鮮人を2度殺すことになる」と怒りを込めた。

「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」事務局長で専修大教授の田中正敬さんは追悼文問題の経緯を説明。「歴代の知事が出してきた追悼辞を出さないのは慣例の転換という意味もある。出すことで公的な行事だった朝鮮人追悼式を私的な行事に変える意味合いが込められている」と指摘した。([下]続きを読む>>

【合わせて読みたい記事】
<関東大震災朝鮮人虐殺94周年>小池都知事の追悼メッセージ拒否をめぐって(上)
「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」に込めた演出家・千田是也の思い (加藤直樹)
られざる関東大震災「中国人」虐殺と「戦後日本のヒーロー」加藤直樹

★新着記事