ラッカ南部の丘でISに殺害された遺体を収容する消防隊員。(昨年10月撮影:玉本)

◆遺体収容の現場で 手首縛られ殺害

シリア・ラッカは、過激派組織イスラム国(IS)の拠点都市だった。南部に広がる丘陵地帯では、いまもたくさんの遺体が見つかる。ISが集団処刑したり、別の場所で殺害して運んできたものだ。(玉本英子/アジアプレス)

ラッカの遺体収容作業班は、この丘での収容にあたってきた。隊員はラッカの消防士や医師からなる。昨年秋、私が同行したのは19回目の収容作業だった。

「ここにも埋まっているぞ」。
消防士が土を掘り起こすと、茶色くなった頭蓋骨とバラバラの骨が出てきた。

「これは結束バンド。手首を縛られたまま殺されたんだろう」。
そう言って、輪状に結ばれたプラスチックの白いバンドを見せてくれた。

白骨化した遺体とともに見つかった結束バンド。ISに腕を縛られたまま殺害されたとみられる。(2019年10月撮影:玉本英子)

この日、収容されたのは7遺体。医師は、骨の数や傷の位置、歯の形状をひとつずつ記録し、髪の毛や着衣の一部をビニールに入れて保存していた。行方不明者を探す家族が、遺体を確認できるようにするためだ。

次々と出てくる土まみれの頭蓋骨。ぼろぼろになった着衣。どんな思いで、最後の瞬間を迎えたのだろう。丘は静かで、遺体を掘り起こす消防士たちの声だけが響いていた。たくさんの悲しみが覆うこの丘を見渡しながら、胸が詰まりそうになった。

5年前、世界を震撼させたISによる外国人人質処刑映像。黒マスク姿の戦闘員が、軍用ナイフを突きつけ、英米人記者のほか、後藤健二さん、湯川遥菜さんら人質があいついで殺害された。

その映像の中の、なだらかな土漠地帯の起伏や土の色は、この丘とそっくりだ。おそらく、この一帯のどこかで撮影されたとみられるが、人質の遺体は不明のままだ。

収容された遺体。この日は7遺体が見つかった。この丘の背後に広がる景色は、IS処刑映像とそっくりである。(2019年10月撮影:アジアプレス坂本卓)

ISがラッカを支配していた当時、公開された米国人記者の処刑映像。背後の景色から見て、ラッカ南部の丘と推測される。(2014年8月:IS映像・一部モザイク処理)

◆IS掃討作戦 見えざる市民の犠牲

遺体収容作業にあたってきた消防士たちは、IS支配時代、住民の救出を最前線で担っていた。アサド政権のシリア政府軍、ロシア軍、そして米軍主導の有志連合の空爆。ISの軍事拠点だけでなく、住宅地も狙われた。

2017年、IS掃討作戦が迫ったラッカで、クルド主導勢力を支援する米軍は、空爆や砲撃を加えた。ラナ・アルフセインさん(31歳)は、家に砲弾が炸裂し、夫は崩れ落ちた壁の下敷きになり、死亡した。米軍の砲弾だ、と近所の住人が教えてくれた。

「なぜ戦争と関係のない私たちがこんなことに。幼い子供3人を抱えどうやって生きていけばいいの」
ラナさんは、涙をこぼした。

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