まだヤシン師の暗殺の衝撃が続くガザ地区の南部へ向かう。パレスチナの人々が喪に服して2日目、ハンユニス難民キャンプでは学校は休校で、子どもたちは家のまわりで遊んでいた。小学生のモメント(11歳)君は2003年の春、家を壊され今は建築中のビルに家族で住みついている。

彼は22日の出来事を語ってくれた。
「ヤシンが暗殺された日、僕は学校で勉強をしていた。突然、先生から今日は休校だといわれた。銃撃がしていたので、僕たちはおさまるのを待って下校した」
モメント君によればニュースが広まるにつれ、怒りに燃えた人々は入植地近くにいる兵士に石を投げ始めた。子どもたちも混じっていた。1人の少年は音響爆弾を投げた。けれど兵士には届かず、兵士からたくさんの銃弾を受けてその少年は殺されたという。

モメント君はヤシン師の死について
「僕たちのリーダーが殺された。テレビで車椅子が転がっているのを見て、僕は泣いた。老人で身障者だったのに、ひどすぎる」と話す。

話をきいているあいだもときおり銃声が鳴り響く。家族が突然、大きな声を上げてベランダに向かう。何か起こったようだ。みんなアラビア語で叫んでいるのでわからない。ベランダから下をのぞくと、1人の男性が銃撃され、倒れているのが見えた。男性は数人の人々に運ばれていった。投石をしている子どもたちの姿もない。

少し時間がたつと何事もなかったかのようにまた子どもたちがサッカーを始めていた。日本で銃声がしたらどうなるのだろうと思った。これがここに住む人たちの日常なのだ。
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モメント君と母親
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モメント君
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負傷した人を助ける人々