民間人に最大数の犠牲者
ベニ襲撃では、民間人にこれまでで最大数の犠牲者が出た。ベニ・バザールと周辺の村で合計19人の民間人が死亡している。このうち8人が軍のヘリコプターからの空爆による犠牲者である。マオイストがベニを引き上げた直後、軍は近隣の村で空爆を行い、ジャマルコット村では、建築労働者として働く村人6人とその家の女性の7人が一箇所で殺されている。

明らかな誤爆だった。郡開発委員会の敷地内では、何日か前に政府側に降伏した元マオイスト4人が、拘留されていた部屋のなかで、さらに同事務所の使用人が建物の外で交戦に巻き込まれて死亡。郡警察署前では、マオイストが撃った焼夷弾が当たって燃えた宿屋で、宿泊客2人が焼死した。

さらに、周辺の村で襲撃後にマオイストが残していった手りゅう弾が爆発して、子供3人が犠牲になっている。不発の手りゅう弾などの爆発物に加えて、彼らはベニの人たちに厄介な“お荷物”を残していった。交戦で死んだマオイストの遺体である。

一部の遺体は彼らが自身で運び去り、前もって川原や畑に掘ってあった穴に埋めたものの、襲撃後、ベニのバザールにはたくさんの遺体が放置された。政府側が処理にあたらなかったため、地元の赤十字が遺体を集めて埋葬した。赤十字が確認しただけで、ベニ・バザールとその周辺から67人の遺体が見つかった。このうち45体は、カリガンダキ川の川原にまとめて埋葬された。

“プラビン”は、ベニ襲撃でマオイスト側に78人の死者が出たことを認めている。このうち6人は民間人の“ボランティア”だったという。しかし、ベニで確認された遺体の数に、彼らが帰路に遭遇した空爆や交戦で死亡したマオイストの数を加えると、100人近い犠牲者が出たことは間違いないと考えられる。

政府側の犠牲者は、王室ネパール軍の兵士14人に警察官19人を加えた33人だった。これは、政府側に約140人の死者が出たアチャム郡の“マンガルセン・サンフェバガル同時襲撃”(2002年2月)や、70人以上が死亡したロルパ郡の“ガム襲撃”(02年5月)、69人が死亡したアルガカンチ郡の“サンディカルカ襲撃”(02年9月)と比べても、少ない数字である。

敷地内にとどまり防御にまわった政府側に比べて、奇襲を仕掛けたマオイスト側のほうにずっと多くの死傷者が出たのはなぜなのか。一つ考えられることは、マオイストが撃った弾が仲間に当たった可能性である。これに関しては、襲撃に参加した人民解放軍第3大隊指揮官の“アビナス”が、左翼系月刊誌『ムリャンカン』のなかで、彼らが撃った81mm臼砲により、軍兵舎の敷地内で武装マオイストの何人かが死亡したと話している。

さらに、マオイストが設置した臨時のクリニックで、襲撃のあいだ、仲間の弾による犠牲者が出ている事に関して、マオイストどうしで口論していたのを目撃した人もいた。複数のマオイストが仲間の弾により死亡したことは間違いないようだ。
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