では、ベニ襲撃でマオイストは一体、何を得たのか。それは、彼らの武装勢力が、政府側治安部隊と少なくとも互角に戦える能力をもつというイメージを、国内外に誇示したことだった。マオイストは2002年11月のジュムラ襲撃以来、大規模な襲撃を行わず、とくに昨年8月に政府との第二回対話が決裂してからあとは、個人暗殺や爆弾テロなどを頻発させる戦略をとってきた。

このため、政府側は今年に入ってから「マオイストには、もはや大規模襲撃を決行する能力はなし」というプロパガンダを広めてきた。しかし、マオイストはベニ襲撃で、これが誤っていたことを証明して見せたわけだ。

マオイストはE竏茶=[ルを通じて不定期に送ってくる『マオイスト・インターナショナル・ブリテン9号』のなかで、彼らがベニ襲撃とその18日前に東ネパールで決行したボジプル襲撃を「成功した」とする理由について、こう主張している。

「3週間のあいだをおいて行った、ボジプルとベニへの襲撃が成功し、王室軍独裁のもとに偽の選挙を実施しようという試みは決定的な打撃を受けた」
つまり、二つの襲撃により、ネパールは現在、選挙ができるような治安状況にないことを証明してみせたというわけだ。

02年5月に国会が解散されて以来、ネパールには議会が存在しない。ギャネンドラ国王とその政府は、何が何でも早期に総選挙を実施することを謳っているが、ほとんどの山岳地帯で、郡庁所在地以外の地域が実質的にマオイストの支配下にある現状では、どんな選挙も物理的に不可能な状態にある。

ネパール政府に対して、総選挙実施の圧力をかけているのは、欧米諸国を含む外国政府や海外援助団体だ。しかし、外国人観光客も大勢訪れる観光地ポカラからわずか50キロのところにあるベニを襲撃し、12時間占拠したことにより、マオイストは国内外のメディアを通じてネパールの現実を見せつけたことになる。

しかし、こうしたイメージも長く続くものではない。イメージを継続させるには、襲撃も継続させねばならない。しかし、それだけの能力が今のマオイストにあるのか、きわめて疑問である。ベニでは、マオイストは「政府側治安部隊と互角に戦う能力」を示したものの、逆に言えば、「ベニのような襲撃しやすい場所でさえ、軍兵舎を占拠できなかった」とも言える。それが、彼らの限界だったと考えられる。

それに対して、彼らが失ったものは、決して小さくない。ベニ襲撃で命を落とした大勢のマオイストのなかには、2人の旅団副指揮官と大隊指揮官、副指揮一人ずつ、小隊レベルの指揮官数人が含まれていた。さらに彼らはこの襲撃で、これまでで最大量の武器・弾薬を使用した。

ベニで亡くした人材と装備を補填するには、かなりの時間がかかると予測できる。装備を補填するにはそれなりの資金が必要だが、資金繰りはこれまでどおり、主に企業や個人からの“強制寄付”に頼らざるをえないだろう。

さらに、今年に入って、マオイストは“人民軍事キャンペーン”と称して、武装勢力拡大の目的で、学校の生徒や村人を強制的に武装ゲリラにリクルートする戦略を進めている。こうした“強制寄付”や“強制リクルート”活動は、一般の人たちのマオイストに対する恐怖と反感をますます強める結果になる。彼らが銃をもって村を制する方針を強化するほど、彼らがいう“人民”のなかでの本当の意味での支持基盤は弱まることはまちがいない。

5月にミャグディ郡タカム村まで行ったとき、マオイストの“人民軍事キャンペーン”について、村人が話した言葉が思い出される。

「このキャンペーンは、すべての家族が人民解放軍に“一つの援助”をするという意味らしい。つまり、お金がある家は彼らに現金を渡し、米がある家は彼らに食事を与え、服がある家は服を渡す。そして、何もない家からは、家族を一人提供するということだ」
これはつまり、最も貧しい人たちが最大の犠牲を払わねばならないことを意味する。マオイストの人民戦争の現実を端的に表した言葉である。

 
昨年4月、停戦中にカトマンズで開かれたマオイストの“対話団歓迎集会で演説をするナンバー2のバブ・ラム・バッタライ。   昨年6月、停戦中にカトマンズ市内でマオイストがデモを繰り出した。デモ隊が持っている大きなバナーは党首“プラチャンダ”の肖像画。

 

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