4つの新年祭(下)

※お断り ミャンマー(ビルマ)入国取材の安全を期して、宇田有三氏は「大場玲次」のペーネ  ームを使用していましたが、民主化の進展に伴い危険がなくなりましたので、APN内の記事の署  名を「宇田有三」に統一します。

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【米国の支援団体から難民キャンプの子どもたちに、オモチャが配られた。我先に、ぬいぐるみや風船を得ようと手を伸ばす】
現在、タイ領内には、ビルマ軍やDKBA軍の迫害を逃れて、約15万人のカレン人が難民として逃げ出してきている。

私が最も理解に苦しんだのが、難民キャンプの最大のメラキャンプからDKBAの新年祭に参加したカレン人も多かったことである。
自分たちはDKBAの焼き討ちや迫害に遭って難民となったのだが、そのDKBAの主催するお祭りを見に行っているのだ。
あるカレン人一家は、兄がKNU側に参加し、弟がDKBA側に加わっているというところもある。

それは、一家が生きていくために選んだ道だという。
過酷な状況下で生き抜くためには、厳しい選択をせざるをえない現実がそこにはある。
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【イトゥタ難民キャンプ内の小川で水浴びをする女性。厳しい生活環境下といえども、できるだけキチンとした暮らしを保とうとする】
また、2006年3月頃から、SPDC側の軍事攻勢により、タイ国境にまで約2万人近いカレン人難民が押し寄せ、新しい難民キャンプができあがった(イトゥタキャンプ)。

彼らは現在、タイとの国境線であるサルウィン河を渡ることが出来ずに、タイ領土を目の前にして避難民生活を続けている。
タイ側で難民援助を続ける海外の支援団体は、基本的に国境を越えてビルマ側の難民を支援することはできない。
だが、目の前に困っている人びとがいるのに、黙っておくわけにはいかない。

やはり、国境線を越えて支援を始めている。
その実情を見に行くために米国人の支援者と一緒に、イトゥタキャンプを訪れるためサルウィン河をボートで遡った。
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