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【難民キャンプの家は山間の空き地に点在する。毎日のように新しい難民の流入があり、その数は周辺に隠れ住む人も含めて2万人にも膨れあがっている。新しい家は青いシートで覆われているからすぐに分かる】
目的地のイトゥタキャンプまで約1時間半弱。
ボートは30分も走ると、ビルマ側の川岸に停止した。

目の前にビルマ軍兵士が2人立つ。
ビルマ側のチェックポイントだ。さらにボートは30分ほど進む。
今度はタイ側のチェックポイントだ。
国境線を境にして、ビルマ側もタイ側も、この難民キャンプに入るボートをチェックしている。
特にビルマ側の対応は分からない。

まだ公式に認められていないこのキャンプまでボートの通行を許すと、いつかはこのキャンプの存在がビルマ政府非難の対象になってくるはずなのに。
国境周辺を訪れて毎回思うことだが、そこに暮らすビルマ人、タイ人、その両者の間に挟まれて存在するカレン人は、それぞれが生き抜くために、その場だけで通じる論理を持っている。

それはまさにカレン人の家族や組織が表面上で分裂しながらも、どこかで通じ合っていることに似通っている。
ボーミャ元議長の葬儀が始まると、国民民主連盟(NLD:アウンサンスーチー氏が書記長)の国境支部やビルマ軍政に抵抗を続け諸民族の悼辞が続く。
式の次第を見ながら、ハッと気づいた。

KNUからは誰も公式に参列していないのだ。葬儀の最前列に姿を見せていたのは、第7旅団のティンマウン将軍とKNLA司令部のカサドゥー将軍だけであった。
参列者をじっくりと観察していくと、ずらりと並べられた椅子の後方に顔見知りのKNU幹部が見えた。
私服姿で一般の参列者に交じっている。あくまでも私人として参加したのだという意思表示のようだ。

また、ある最高幹部の一人は、その参列者にさえ加わらず、離れたところで葬儀の様子を見ているだけであった。
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