彼の言葉はそれ以上耳に入らなかった。
父が何か過ちを犯して革命化対象に指定されたと言っているらしいのだが、どんな過ちを犯したのかということは全く思い当らなかった。ただ、何か書類を取り出して、こう言っているのが聞こえた。
「この書類を読んで拇印を押したまえ」
目線だけを落として書類を見たが「この監獄で見聞きし、感じたことを外に出て公言しない」という文言だけが目に入った。また、「18号」という数字も見たような記憶がある。

「大したことはない、これに拇印を押しさえすれば外に出られるさ」
私は真っ赤に朱肉をつけた親指を、彼が示す場所にぎゅっと押しつけた。
その後、保安局局長が放った一言に、私は耳を疑った。

「そこで三年だけ苦労すりゃいい。親父さんをしっかり支えて、まじめにやっていれば出て来られるさ」
私はブルブルと震える手で、彼が別れの挨拶にさし出した手を握った。
警護員とともに外に出ると、大粒の雨がザーザーと音を立てて降っていた。その雨の中を、一台の新型「ジル」(ロシア製のトラック)が保安署の庭に入ってきた。

トラックの荷台にはすでに我が家の家財道具が積まれており、車が止まると、荷台の前の方に身を寄せ合って立っている人々の間から「ミョンオ!」と私を呼ぶ声が聞こえた。
声の主は、海外出張に行っているとばかり思っていた私の父だった。

あれほど体格のよかった父は痩せ細り、顔は蒼白、髪は伸び放題で、まるで別人のようだった。
後からわかったことだが、父は六か月もの間、予審(取調べ)を受けていたのだった。

助手席にいた母がわっと泣き崩れた。母は私を見てひどく驚いたようだった。私が荷台に乗り込むと、やつれた様子の弟たちが憂鬱な表情で私を迎えた。
私たちを両側から挟むように保安員たちが立っている。逃亡者や自殺者が出ないよう、見張っているのだった。
トラックの荷台には、前の方に人が乗れる空間を残して荷物が積み込まれていた。降りしきる雨のためか、荷物には覆いが掛けられていた。
長男であり大学生でもある私は、突きつけられた運命を前に覚悟を決めた。
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