強制追放
平壌◆◆大学の三年生だった私はその日、大学の図書館で本を読んでいた。
なんとなく集中できなかったので本を返そうとしていたところに、学部指導員とともに担当保安員(当時は安全員、警察官)が突然やってきた。
以前から約束していた物を買いに私の実家のある平壌市の江東郡の方へ行くので、一緒に行こうというのだった。

父が第二経済委員会(軍関連財政を統括する部署)の◆◆局長をしていたので、こういうことは時々あった。
時は、一九九四年夏の終わりのことで、社会の経済状況はすでにかなり悪化していた。そのためもあって重苦しい雰囲気の大学を離れ、こんな形ででも時々家に帰られることを、私はラッキーだと思っていた。

平壌市郊外に位置する第二経済委員会特別社宅区域は、山がきれいで水も澄み、空気も本当に美味しいところだった。
警務詰め所に出て、二人でトラックの荷台に乗せてもらった。
龍城区域を通っているとき、担当保安員が車を止めさせた。
「保安署(警察署)にちょっと寄って行きたいんだ」
「ええ、いいですよ」
私も彼と一緒に車の荷台から降りた。

〝家はもうすぐそこだな〞私はうきうきしてきた。
一〇分ほど待っていると彼が出てきた。にこにこしながら私に「ここの大尉がお前に会いたいそうだ」と言うので、私はなんの気なしに彼について、保安署のとある部屋に入っていった。
ドアには「絶対危険・立ち入り禁止」と書いてあったので、ちょっと変だなとは思ったが、そこでまったく予想もしない出来事が私を待っているとは夢にも思わなかった。

部屋の中には三名の保安員がいたが、彼らの目は驚くほど冷ややかだった。
一人が目配せをすると、三人はいきなり私に飛びかかり、両腕を後ろ手にねじ上げた。
私も必死で抵抗し、訳もわからないまま大声を上げた。しかし、一介の大学生の私が、訓練され鍛え上げられた保安員三人にかなうわけがなかった。
私はパンツのゴムまですべて取り上げられ、拘留場に放り込まれた。

あまりに突然のことに、当初は誰かのいたずらに違いないとさえ思えた。そんな状況の中でも理性を取り戻そうと努めた。そして、こんな言葉で自分を何度も慰めた。
〝これは何かの間違いだ。すぐにでも、「すまん、手違いだったよ」とか言って出してくれるさ。何もおかしなことはしてないんだ、必ず出られる。世の中は公正なはずだから。〞

こんな風に考える以外になかったのだ。いくら考えたって、私には何の非もなく、私の知っている友人の誰かが、何かやらかしたということも思い当らなかったのだから。
そうこうするうちに三日が過ぎた。平壌市保安局の局長だという人が私を訪ねて来た。少し腹の出た幹部だった。
「おい、親父さんは革命化対象になったぞ」
「……!?」
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