公園で夜を過ごしていた3人のコチェビの子供たち。(2008年10月海州市 シム・ウィチョン撮影)
公園で夜を過ごしていた3人のコチェビの子供たち。(2008年10月海州市 シム・ウィチョン撮影)

 

現地報告 黄海道/平壌江東郡は今

やせ細る兵士、混乱する人民生活 2
報告:チャン・ジョンギル/シム・ウィチョン 整理・解説:石丸次郎

2 シム・ウィチョン記者の黄海道リポート
シム記者の居住地は北朝鮮の北部地域なのだが、確かな情報が少ないながら混乱が伝えられていた黄海道地域の取材を依頼したところ、シム記者は快諾して八月から数回にわたって黄海南北道の広範な地域を取材旅行に出かけた。

彼が訪れたのは、黄海北道の黄州(ファンジュ)郡、沙里院(サリウォン)市、黄海南道の海州(ヘジュ)市、銀川(ウンチョン)郡、載寧(ジェリョン)郡、安岳(アナク)郡、殷栗(ウンリュル)郡、クァイル郡などである。

北朝鮮内部で撮影される映像は、中国を通じてビデオカメラが持ち込まれ、撮影後は一度テープが中国に持ち出されてから世界に公開される。
内部映像がこれまで北部地域に偏ってきたのは、撮影者が中国と行き来しやすい北部地域の人間になりがちであったからだ。
そのような理由があって、北朝鮮の西南端に位置する黄海南北道の映像は、これまでほとんど撮影も公開もされたことがなかったのである。

黄海南北道は、山がちな北朝鮮にあって随一の穀倉地帯である。
九〇年代大飢饉の折、東海岸の工業都市や鉱山、平安南道の炭鉱地帯などで凄まじい飢餓の嵐が吹き荒れた時も、黄海南北道は比較的人命の被害が軽微で済んだという。貧しいながらも耕作地の多い黄海道には、食糧があったからだ。

しかし、二〇〇八年の春から夏にかけて、穀倉地帯である黄海道でも大変な混乱が起こり、一部では餓死者も出ていたという報告が内部からあった。
農民たちは、軍糧米や首都米(平壌への配給用食糧)をごっそり供出させられた上、生活防衛のために行ってきた収穫物の隠匿が徹底して取り締まられた。
また、食糧を運搬することも厳しく取り締ったため、流通の流れが悪くなって市場の価格を押し上げた。

耕作地が多いゆえに収奪の標的になった黄海道の住民は、踏んだり蹴ったりだったのだ。
シム記者は、このような黄海南北道地域の民衆の生活の疲弊ぶりと、人々の間に不満が鬱積している有様をビデオカメラを回して撮影した。記録された映像は一〇数時間に及んだ。

これまでベールに包まれていた黄海道地域の実情が、ここまで赤裸々に映像に撮られたのは初めてのことだと言っていいだろう。
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