「タフンダンはこの地域にあるチベット人の村の一つで、他の3つのチベット人の村は、カチン州とインドのアルナチャル・プラデシュ州を結ぶ Seingkhu 渓谷にある。それらの村は1950年代前半、(共産党が)政権を握った中国政府によって生活状況が厳しくなり、そして政府の抑圧により逃げ出した難民によって作られた。ビルマ政府は1990代に、彼らチベット人たちにビルマの身分証明書を発行した」"IRRAWADDY"(July、2007)

ダウェさんの妹が日曜礼拝にやってきた。タロン人やラワン人の多くはキリスト教徒である

ダウェさんの妹が日曜礼拝にやってきた。タロン人やラワン人の多くはキリスト教徒である

もし、チベット人が200年前からタフンダンに住んでいたなら、1931年の英国による人口調査の結果にそのことが記されているはず。あるいは1950年代にビルマ国軍の将校がこの辺りを調査した際、そこにチベット人がいたならば、それらの記述があってもいいはず。だがそういう記録をまだ読んだことがない。

この地域が深い山の中にあったため、これまで、どの調査の網からも抜け落ちてしまっていたのだろうか。とにかく、ビルマの「少数民族」の種類と数は、まだまだ確定されないようだ。
つづく
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