「『貨幣交換の時もえらい目に遭って大変だったけど、今回の方がもっとひどい仕打ちだ。まるで空が落ちて来たようなショックだ』と言っていました。金は無くなっても稼げばよいが、平壌から追い出されることは、どうにもやり直しができませんからね。平壌の党幹部たち権力層との結びつきも弱まるにちがいないし、子どもの将来の出世にも影響することは明らかでしょう」。

移動が制限されている北朝鮮において、平壌の三郡一区域の住民に下された今回の切り捨て措置は、暮らしを支える商行為にも大きく影響するだろう。これからは、もう特別な通行証がなければ平壌市内に自由に行くこともできなくなるわけで、平壌の中心部のジャンマダン(市場)に店を出し、固定客が付いていた商売人にたちにとっては、大事なお客と収入源を失うことになるわけだ。品物の仕入れのために平壌に行くことも簡単ではなくなる。

その後の現地の様子ははっきりわからないが、キム記者は、平壌から、文字通り切り捨てられた人たちが、嘆きながら暮らしているという噂を時々聞くという。
キム記者によっていち早くもたらされたこのニュースは、北朝鮮政府が二〇一〇年末に発行した「朝鮮中央年鑑」に記載されたことで、事実と確認されたことを付け加えておく。

取材 キム・ドンチョル
整理 リ・ジンス
二〇一一年三月

注1 北朝鮮の中央統計局が二〇〇八年一〇月に実施した人口調査に拠る。一九九三年以降一五年ぶりに行われたこの調査は、国連人口基金(UNFPA)の基準にのっとって行われた、いわば北朝鮮初の国際水準の人口調査だ。三万五千人の調査員による家庭訪問(その費用の七割を韓国が負担)により導き出された調査結果は二〇一〇年国連により公開された。しかし、九〇年代後半の「苦難の行軍」期に、最低でも一〇〇万人以上が死亡したとされるにも関わらず、人口が二四〇五万人と、一九九三年当時より二八四万人も増えたとしており、その調査結果には信憑性に欠ける部分があると言わざるを得ない。人口数値はあくまで「参考値」と考えられたい。

★新着記事