JR脱線事故から9年。現場を通り過ぎる電車を撮影する、テレビ局のスタッフたち(2014年4月25日撮影・矢野宏)

JR脱線事故から9年。現場を通り過ぎる電車を撮影する、テレビ局のスタッフたち(2014年4月25日撮影・矢野宏)

◆娘はなぜ、こんな所で死ななければならなかったのか...

107人が亡くなり、562人もの負傷者を出したJR福知山線脱線事故は4月25日、事故発生から9年を迎えた。兵庫県尼崎市の事故現場には朝早くから被害者や遺族、市民らが訪れ、事故が発生した午前9時18分に黙とうして犠牲者を追悼した。(矢野宏 新聞うずみ火)

脱線事故の発生時刻直前、電車が速度を落とし、長い警笛を響かせながら現場を通り過ぎていく。電車内には手を合わせる乗客の姿も見られた。

電車が激突したマンションの壁には9年たった今も傷跡がいくつも残され、あの日の惨事を思い起こさせる。

一人娘を亡くした藤崎光子さん(74)は9年たってもつらさは増す一方だという。
「なんで娘はこんな所で死ななければならなかったのでしょうか......」

事故は、死亡した運転士のブレーキ操作が遅れ、制限速度の時速70キロのカーブに減速しないまま、時速116キロで進入して脱線。そのままマンションに激突したことが直接の原因だった。

国土交通省の事故調査委員会は、亡くなった運転士のブレーキ操作が遅れた原因として、懲罰的な「日勤教育」やおろそかにされてきた安全対策など、JR西日本の企業体質を問題視した。
JR西日本労働組合の田村豊委員長は「安全対策を労務管理で乗り切ろうとした経営方針が引き起こした事故だった」と振り返る。

事故から9年間が過ぎた。JR西日本は安全優先の企業に生まれ変わったのか。

事故の翌年、伯備線で保線作業員5人が電車と接触し、3人が亡くなる事故が起きた。

さらに3月、神戸線の芦屋駅と阪和線の上野芝駅(堺市)の2カ所で、ATS(自動列車停止装置)に設計ミスがあり、作動しない状態だったことが明ら かになった。電車が制限速度を超えて走行しても減速しなくなっており、芦屋駅で約1年、上野芝駅では約20年にわたり放置されていた。

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