●母親「官僚にならなかったら・・・」

その初公判から、さらに10か月ほど経った今年(2014年)4月9日。私は、重慶市中心部から車で2時間以上かかる山深い農村に向かった。
畑が曲線を描いて山あいに広がる景色は美しく、日本の農村を彷彿とさせた。雷元書記の実家は、そんな素朴な農村の中にあった。父親も村の書記を務めたとい う実家は、他の農家に比べ立派なコンクリート造りの4階建ての建物だった。雷元書記の母親は町に出ていたが、遠来の客が来たと聞き、すぐに戻って来てくれ た。古希をゆうに超えている雷元書記の母親は、戻るなりおいおいと泣き始めた。

雷元書記の母親 「官僚にならなければ今回のようなことは起きなかった」と涙ながらに訴えた (2014年4月9日、アイ・アジア)

雷元書記の母親
「官僚にならなければ今回のようなことは起きなかった」と涙ながらに訴えた
(2014年4月9日、アイ・アジア)

 

「私は、息子が(女性と)関係を持ったことを、絶対に信じられない。小さい時から乱れることのない真面目な人間だったのに」
母親は、しわだらけの細い手で涙を拭うと、息子は罠にはめられたに違いないと訴えた。
「官僚にならなかったら、今回のようなことは起こらなかったでしょう」
家には雷元書記が休暇などで帰って来たときに使っていたという寝室があった。継ぎを当てたシーツがかけられたベッドとクローゼットがあるだけ。好色 で貪欲な腐敗官僚というにはあまりに簡素な部屋だ。さらに母親は引き出しの中から、古い写真を見せてくれた。

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家を背景に親戚が集まって収まった写真。母の後ろには「優しい息子」だったという雷元書記が微笑んでいた。この時、雷元書記は、その後の自分の転落を知る由もなかったことだろう。

◎アイアジア(http://www.npo-iasia.org)

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