白血病多発問題の解明を進めてきたコン・ジョンオク医師

白血病多発問題の解明を進めてきたコン・ジョンオク医師

「何かがおかしい」と感じた女性産業医

日本からこの問題をフォローする上で最大の情報源となってくれたのは、医師のコン・ジョンオクだった。正義感の強い女性で、産業医として原告のさまざまな相談に乗っていた。

日本の研究者から紹介を受け、私は彼女と英文の電子メールでやり取りを続けた。送られてくる英文を読むたびに、相当な秀才だと思っていたが、ソウル市で会った彼女は気さくな感じで、笑顔が印象的な女性だった。彼女はこう語った。

「20代、30代の若い人たちに白血病の発症が続けば、普通、どの産業医だって、『何かがおかしい』と思うはずです。そう思わない方が不自然なんです」

ファン・ユミが死亡した2007年、ソウル大学医学部に在籍していたコン・ジョンオクは、「サムスン電子で働く女性たちの間で白血病の発症が続いている」 という情報を耳にして、調査に乗り出した。一方、ファン・ユミの死は、大手メディアにこそ取り上げられなかったものの、その事実と遺族の思いはインター ネットを通じて拡散した。そして韓国社会に少なからず衝撃を与えた。

国民から驚きの声が上がる中、父親から労災の申請があり、またコンらの熱心な働きかけもあって、韓国政府が調査に乗り出した。勤労福祉公団傘下の産 業安全保健研究院が、ファン・ユミのケースを含めたサムスン電子従業員の白血病の発症について、疫学調査を行ったのだ。ところがその結果は、

「韓国の一般環境における白血病の発症率と比べて、サムスン電子での白血病の発症率は特に高くなく、白血病と職場環境との間に因果関係は認められない」
という趣旨のものだった。コンはこう振り返る。

「(調査結果が発表された)記者会見はひどいものでした。でも、マスコミは『疫学調査の結果、(ファン・ユミの死は)労災ではありませんでした』と 聞かされて、納得してしまったんです。私たちは『それでは何も解明されていません』と主張しましたが、まったく取り上げてもらえませんでした。

その結果、ファン・ユミさんの白血病は、サムスン電子の工場の環境とは関係ないということにされてしまったのです」

コンは情報公開請求制度を利用して、疫学調査の元データの開示を求めた。しかし、その内容は開示されなかった。彼女はまた、サムスン電子に対して も、工場で利用している化学物質について情報を開示するよう求めている。しかしサムスン電子は、供給先との契約で開示できないとして拒否している。

亡くなったファン・ユミが勤務していたキフン工場については、使用している化学物質に関するデータが裁判記録にある。韓国政府が調査した結果を裁判 所に提出したものだ。それによると、工場内で確認された化学物質は99種類あり、そのうち10種類については「納入業者の営業秘密となっている」ため成分 を確認できなかった、とされていた。

しかしコン・ジョンオクは、「その調査結果は信用できません」と語る。

「ソウル大学医学部のある教授が、比較的規模の小さい半導体工場で、どのくらいの量の化学物質が使われているかを調べた数字があるんです。その結果 は、424種類の物質というものでした。サムスン電子のキフン工場は、世界有数の規模を誇る同社の基幹工場です。小規模の工場でも400種類以上の化学物 質を使っているのに、巨大なキフン工場が99種類しか使っていないとは思えません」(続く)

(この原稿は、「現代ビジネス」に掲載された記事を著者の承諾を得て転載したものです)

<<執筆者プロフィール>>

立岩陽一郎
NHK国際放送局記者

社会部などで調査報道に従事。2010年~2011年、米ワシントンDCにあるアメリカン大学に滞在し米国の調査報道について調査。

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