ミャンマーを取材して23年間、軍政時代からいわれてきたこの国の問題は「民主化問題」よりも「民族問題」(「似非民族問題」)であったことを今一度、思い起こしてしまう。

これから、その「ロヒンギャ問題」を書き記すにあたって、まず(2)から説明を始めたい。というのは、(2)の理解がないと「ロヒンギャ問題」をより的確に把握できないからである。

以下、<「ロヒンギャ問題」の問題化>について、歴史と文化問題が絡み合う関係で話が複雑になってしまう。そのため、これまで私が報告会などで受けた質問を元に、Q&A方式で説明していくことにしたい。

政府関係の事務所にはタンシュエ上級大将の写真が飾られていた(2011年撮影 宇田有三)

政府関係の事務所にはタンシュエ上級大将の写真が飾られていた(2011年撮影 宇田有三)

 

Q. どうして「ロヒンギャ問題」が正確に伝えられてこなかったのですか?
A. ミャンマーは2011年3月に民政移管するまで長らく軍事独裁国家でした。そのため国内では厳しい情報統制が敷かれていたのです。しかも2011年の民政移管は事実上、前の軍政の幹部が実権を握っていたのです。2015年にアウンサンスーチー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が総選挙で大勝し、2016年3月に政権に就くまで、軍政による情報統制の負の遺産を引きずっていました。

その後、ミャンマーにまつわる "あやふや" な情報は、残念ながら修正されずに残ってきました。外国メディアは、その中でも日本のメディアは、いったん報道した内容をそのまま踏襲して現在に至っている、ということです。

Q. 例えばどのような "あやふや" な情報の例があるのですか?
A.
 ミャンマーが軍事独裁国家という場合、軍事政権という点が注目され、この国は独裁国家、つまり独裁者が存在していたということはあまり知られていません。軍政後期のミャンマーには、実はタンシュエ上級大将という独裁者がいましたが、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)、イラクのサダム・フセイン、リビアの「カダフィ大佐」のように国際的に認知されてきませんでした。

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