集会には多くの地元メディアが取材に訪れ、参加者は原爆犠牲者への哀悼の意を表すとともに、「ヒロシマとハラブジャの2つの悲劇はともに人道に反する罪」などと訴えた。
ハラブジャがあるイラク・クルド自治区では、地元クルド兵とISが対峙しており、戦闘地域を中心に住民も含めて多数の死傷者が出ている。(玉本英子)

1988年3月ハラブジャへの化学兵器攻撃では5000人が犠牲となった。写真は犠牲者の名前が刻まれた墓碑(2006年撮影・玉本英子)

1988年3月ハラブジャへの化学兵器攻撃では5000人が犠牲となった。写真は犠牲者の名前が刻まれた墓碑(2006年撮影・玉本英子)

 

【ハラブジャ事件】 イラク・イラン戦争末期の1988年、イラク北東部のハラブジャで、政府軍が住民に対しサリンなどの成分を含む化学爆弾を投下し、5000人以上が犠牲となった。この町を住民たちは「イラクのヒロシマ=ハラブシマ」とも呼ぶ。人びとはいまも心臓疾患や気管支障害など、化学兵器の後遺症に苦しんでいる。

 

【関連記事】
<イラク>ハラブジャは終わらない(1)遅れる復興支援
<イラク>ハラブジャは終わらない(2)被害者の訴え

★新着記事