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【写真上:亡くなった家族の身分証明書を見せるモハメッドさん。ハラブジャから来たということでイランでは差別を受けたという(2008年3月撮影:玉本英子)】
玉本英子 現場日誌
◆復興の遅れと 健康被害に苦しむ住民たち
ハラブジャ被害者のひとり、モハメッド・アジズ・マハムートさん(50)が家に招いてくれた。
ハラブジャ事件で両親、兄弟4人、姉妹3人を失った。残された妹と2人でイランに逃げ、働き、結婚した。
2004年に妻子とともにハラブジャへ戻ったが、4年たったいまも仕事はない。出稼ぎで得たお金を切り崩す毎日だ。
「いまも頭が痛いし、息ができない日もある。しかし国からは何の援助も受けていない」と話す。
「町は腐敗している。援助を自分たちだけのものにしている奴らがいるんだ」
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【写真上:イラン国境にほど近いクルド人の小さな町ハラブジャ。復興は立ち遅れてきた(2008年3月撮影:玉本英子)】
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イラクではライフラインがいまだ整備されていない。ハラブジャも例外ではない。
電気は1日に3時間、水は1週間に2回、1時間づつ。
その間に水をため、生活用水として使う。妻のグリさん(40)が紅茶を入れてくれた。しかし味は苦く臭いがした。
グリさんは水の出ない蛇口をひねりながら、「ハラブジャではいまも健康被害に苦しんでいる人たちが大勢いる。せめてきれいな水だけでも供給してくれたら」と訴えた。
ハラブジャの町を見下ろす丘には、新たな記念碑が建設中だった。
「こんな記念碑を建てるぐらいなら、俺たちのことを助けてくれよ」通りすがりの男性が吐き捨てるように言った。(了)
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