がれきの街と化した東ゴータ。フォトジャーナリストのアブドゥル氏(左)と仲間は黒いビニール袋に、子どもたちへのお菓子を入れて、爆撃の中、命がけでシェルターをまわる(2月24日東ゴータ・サクバで撮影)

◆いつ死ぬか分からない恐怖のなかで

食料がないため、多くが、一日に一食しか食べられません。いつもおなかをすかせています。私たちは人びとから集めたお金で、いくつかのお店で手に入れたビスケットやチョコレートなどのお菓子や栄養ミルクをシェルターの子どもたちに配りました。甘いものを口にすることができて、みんな大喜びでした。「一瞬でも爆撃の音を忘れることができる」と言います。

日本の子どもたちのことを想像します。暖かい家にいてゲームをしたり、外で太陽の日を浴びて公園で遊ぶ、そんな普通の暮らしをしていることでしょう。でも東ゴータの子どもたちはずっとシェルターにいて、化学兵器や空爆におびえ、いつ死ぬかわからない恐怖の中で暮らしています。どうか私たちの状況を知ってください。助けてください。

シェルターに避難した子どもたちに配られたチョコレートやビスケット。東ゴータのボランティアグループのメンバーは手分けをし、約4000人の子どもたちにお菓子などを配ったという。(2月24日東ゴータ・サクバで撮影)

爆撃が激しくなってから、約2か月間も子どもたちはシェルターでじっと暮らす。少しでも気をまぎらわせることができるようにとボランティアメンバーは風船なども配った。(2月24日東ゴータ・サクバで撮影)

ダマスカス近郊の勢力状況(2018年2月時点・アジアプレス作成)

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