
<カシミール・印パ停戦の陰で>(1) カシミールの人々にとって問題は何か?
◆弾圧される分離独立運動
分離独立運動が再興したのは、2008年6月に南カシミールのアマルナース寺院の土地帰属をめぐって住民たちが抗議をした一連の事件だった。当時のシンハ州知事の主導で、寺院は新たに作られた管理委員会に帰属することになったが、そこにカシミールの代表者はいなかった。そのことに反発し、分離独立を求める数万人規模の集会が幾度となく開かれた。このときは60人余りが警察や軍隊の発砲で亡くなっている。この頃から、一般住民が投石等の抗議行動するのが、日常化しはじめていた。
2010年7月、抗議行動に参加していたトゥヘイル・マットゥーさん(17歳)に催涙弾が当たり、死亡。それが引き金となって抗議行動が広がり、3か月余りで111人の死者を出すこととなった。
死者が多いのは。軍隊特権法によって罰せられないのを知っている治安部隊がすぐ発砲するからである。

2016年7月には、武装組織の若き司令官ブルハン・ワーニー氏(22歳)が殺されたことに憤った人々が、大規模な抗議行動を繰り返した。ワーニー氏は、自分や兄が治安部隊から何度も暴行を受けていたことの怒りから、15歳で武装勢力に参加した人物である。SNSで闘争に参加するよう煽る姿は、現地では英雄とみなされた。この事件では、2010年に実弾の発砲に犠牲者が多かった批判から散弾銃が使われ、死者120人に加えて、117人の両目失明者のほか、数え切れないほど負傷者を出した。
これらの抵抗運動は、インドでは繰り返し報道されている。しかし人びとが投石する姿は、分離独立の訴えが伴うことからインドへの反乱ととらえられ、インド全体でカシミールの人びとはテロや暴力のイメージで括られている。

◆憲法第370条廃止という禁じ手
2019年8月5日、インド下院で憲法370条を廃止し、ジャンムーとカシミールを議会付きの連邦直轄地とし、ラダックを議会なしの連邦直轄地とする大統領令が提示され、賛成多数で可決した。
この憲法第370条廃止にあたって、カシミールの人びとの反対を抑え込むため、インド政府はかなり強引なことをした。テロ情報がある、と外国人観光客やヒンドゥー教聖地への巡礼者を追い出し、3万2000人もの兵士を増派した。分離独立派だけでなく、今までインド政府と協調関係にあった元州首相3人を含む政治家たちを軟禁した。携帯電話とインターネットを事前に遮断し、携帯電話は約2か月、インターネットは6か月遮断された。投石をしそうな若者たちはあらかじめ拘束され、カシミール外の刑務所へ送られたり、毎日、警察署への出頭を命じられた。

◆メディアに対する規制、弾圧
この前後から、カシミールの人びとは、さらに沈黙を強いられるようになっていた。前出の殺害されたブルハン・ワーニー司令官についての記事を書いたジャーナリスト、アシフ・スルタン氏は2018年に逮捕され、2024年に1か月ほど釈放された以外、拘束されたままである。ワーニー司令官を英雄化することを、インド政府が嫌っているからであろう。また、人権問題や分離独立について書いた地元記者は、「治安を乱した」として、ことごとく投獄され、見せしめとされた。そして、SNSで少しでも政府に異を唱えるような投稿をすると、すぐさまサイバーポリスに呼び出され、尋問を受けることがが常態化している。
現地におけるジャーナリストの任意団体であるプレスクラブは、政府の意に沿った人物たちに乗っ取っとられた後、閉鎖された。
治安部隊による行方不明者への真相究明を求める活動をしてきたJKCCSの活動家クラム・パルヴェーズ氏も、同様の理由で2019年に逮捕され、投獄されたままになっており、その結果、JKCCSは活動休止に追い込まれている。
そうした徹底した弾圧と監視により、2019年以降は、地元メディアが人権問題や、政府を批判する記事を掲載することは、ほぼなくなった。
外国人ジャーナリストも、外務省の許可なしでは訪れることはできない。
正規のジャーナリストビザを持つ、デリー駐在の大手メディアの特派員でさえ、無理なのだ。もし破れば、ビザの取り消しもされる。最近で日本のメディアが訪れたのは、昨年のインド総選挙時だった。その時も、スリナガル郊外に行かない、反インド的な話はしない等の条件がつけられ、常に警察や情報機関関係者が監視のために同行していたという。
印パが報復合戦をしている現在でも、カシミールへの取材は許可されていないようで、今回の事件の外国メディアによる現地報道はない(BBCのインド人記者による取材はあった)。

◆終わらぬ人権侵害
カシミールの人びとが今なお反インド感情を持ち、分離独立を求める動機になっているのは、軍隊特権法を背景にした人権侵害の問題があるからだ。それは、今回のパハルガム事件の容疑者を追う捜査のさなかでも起きている。
5月1日、インドのネットメディア「The Wire」は、4月25日に北カシミールのバンディポラで、武装勢力の一員として銃撃戦で殺されたのは、事前に警察に武装勢力協力者(OGW)の容疑をかけられて拘束されていた、29歳の男性であることを報じている。警察によると彼の案内で武装勢力の隠れ家に行ったが、武装勢力側が発砲して銃撃戦となり、巻き込まれて死んだという。しかし、これは銃撃戦を偽装して殺すという警察が使う典型例で、実際には拘束下で殺された、と家族は証言している。
この事件は、私が知る限り、地元の英語メディアでは報道されていない。
また現地の治安部隊は、武装勢力の一員や実行犯と見られる人物の実家を爆破した。ほとんどの場合、本人は武装勢力に参加したまま、何年も自宅には戻っていない。1990年代に軍事訓練のためパキスタンに渡り、そのまま帰還していない人物の弟が住む家を爆破した例もあった。
裁判所の命令もなく、いきなりやってきた治安部隊に家を追い出され、自宅を爆弾で吹き飛ばされ、瓦礫の山にされる。このどこに正義があるのだろうか? 家族たちは、身内に関係者がいるというだけで、なぜ自宅が破壊されなければならないのか、理解ができないだろう。イスラエルがパレスチナのガザでやっていることと、そっくりである。
法的根拠がないこの行為は、さすがに集団的懲罰だとSNS上で非難され、8軒を爆破したのちに止められた。
このようなことが続けば、若者たちはまた銃を取るようになってしまうだろう。これは、暴力の“再生産”である。
カシミールの人びとの声は、「印パ対立の象徴」「核開発競争のフラッシュポイント」といった大文字の言葉の中にまた埋もれようとしている。カシミールの人びとにとってのカシミール問題とは、治安部隊による人権問題であり、自分たちが被害者なのに、テロリストと呼ばれる悔しさである。それが顧みられない限り、いくら印パが戦火を交えても、問題の解決にはならないだろう。
<カシミール・印パ停戦の陰で>(1) カシミールの人々にとって問題は何か?