クルディスタン 山をおりるとき~(2) 写真・文 玉本英子

【「こんど山をおりるときは、私が死んだとき」。陽に赤く染まった峰々を眺めながら、アルジンは言った。(04年イラク領・カンディル山脈)】

ゲリラに参加することを、クルド人たちは「チュン・チヤン(山へ行く)」という。山とはゲリラのいる山岳地帯を指す。
2001年9月から数度、私はイラク北部の山岳地帯に入った。そこでクルドゲリラ、おもに女性ゲリラの取材をおこなったきた。

私は女性部隊のいる野営小屋に寝泊りした。野営小屋は外部からの侵入を防ぐため、わざと急な斜面につくってある。足元を滑らせ、何度も転げ落ちそうになった私の手を握って、ひっぱりあげてくれたのがアルジン(19)だった。

彼女は15歳のときにゲリラに参加した。イスタンブールから来たが、生まれはトルコ南東部の村だという。山のふもとにある緑豊かな村で、アルジンの家族はヒツジの放牧をしていた。

1992年、彼女の村の近くでトルコ軍とクルドゲリラの戦闘がはじまった。トルコ軍は村人たちに銃を持たせ、ゲリラと戦う作戦をたてた。しかし、村人たちはこれを拒否した。
トルコ軍は非協力的だったアルジンの村に強制立ち退きを迫った後、家に火をつけ、村人たちを追い出したのだった。

「お父さんが身の回りのものをかき集めて、村をあとにした。
私の手をひいて歩くお母さんの目は、涙でいっぱいだった。
私はくやしくて、くやしくて、しかたなかった」
アルジンはそういって、唇をかみしめる。

村を追われたアルジンと家族はイスタンブールに逃れた。
当時、クルド人が多く暮らす南東部ではこうした強制立ち退きによって3000以上のクルド人の村が破壊され、無人となった(トルコ人権協会調べ)。

トルコ政府は、ヨーロッパなどの国々から非難を浴びた。しかし政府は「すべてはテロリストがやったこと」と何ら保障もしなかった。アルジンのように故郷を追われ、都市部へ流入したクルド人は100万を超えるといわれる。 つづく
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(初出 04年)