イスラム教シーア派の最大行事アーシュラーが6日、イランを始めとする世界各地のシーア派居住区で行なわれた。アーシュラーは、毎年イスラム暦モハッラム月10日に行なわれる、イスラム教の預言者ムハンマドの孫であるホサインの蜂起と殉教を悼む追悼行事である。

アーシュラーの風景。牛や羊を犠牲にし、食事を振舞う(撮影:佐藤 彰)

 

680年、ウマイヤ朝の圧制下で、祖父ムハンマドのイスラム共同体を再建するため、ホサインは蜂起する。しかし、ホサインへの支援を約束していたクーファの住民の裏切りにあい、ホサインとその教友わずか72人は、イラクのカルバラの荒野で数千騎のウマイヤ朝軍との戦いを余儀なくされ、ホサイン側は全滅する。

このカルバラの悲劇は、預言者の血統と抵抗の精神を拠り所とする後のシーア派の潮流を決定付け、アーシュラーの追悼行事の中で現代まで語り継がれてきた。
イランではこの日に備え、10日ほど前から町の区画ごとに追悼行事の拠点となる大きなテント小屋が建てられ、毎夜近所の少年以上の男たちが集まっては、ダステと呼ばれる隊列を組んで町内を練り歩き、牛や羊を屠っては人々に食事を振舞ってきた。

そしてアーシュラー本番の6日、午前10時頃からダステへの参加を呼びかける大太鼓の音が、各テント小屋から聞こえ始める。1時間後には、黒いシャツに身を包んだ大勢の人々が小屋の周囲を埋めた。一頭の羊の首を掻き切り、鮮やかな血がアスファルトを染めたのを合図に、ダステが動き始める。

旗持ちの子どもたちを先頭に、男ばかりの100メートルほど隊列が、陣太鼓のリズムと、拡声器からの哀歌とともに町内を練り歩く。ホサイン殉教の痛みを共有するため、皆、小さな鎖の束を自分の肩に打ち付けたり、手の平で胸を叩いたりしながら歩く。

かつては鎖ではなく、本物の小刀で自分の額を割り、血を流しながら歩く男もいたという。小刀の使用は政府によって禁止されたが、地方では今もこうした過激なダステが見られるという。
いたるところに、飲み物や甘いお菓子を通行人に配る人がいる。ナズリーと呼ばれる願掛けだ。イランでは、願い事が叶ったとき、神様に約束した品物を人々に配る慣わしがある。ここ連日、屠られてきた羊や牛も、ナズリーとして提供されたものであり、他にコメや豆、油などを提供する人もいることから、一日の終わりにはゲイメと呼ばれる豆と肉の煮込み料理とご飯が、炊き出しとなって人々に振舞われる。

「日本にもこういう行事はあるかい? 」。男性に話しかけられ、言葉に詰まる。日本にお祭りは数あれど、国を挙げての追悼行事はない。
「アーシュラーの良さは、国民が心を一つに出来ることだ。イラン人は物心つく前から、アーシュラーの日に街頭でこの太鼓の音を聞いてきた。だからこの日には宗教的価値観で心を一つにすることが出来るんだよ」。

昼過ぎ、町内を練り歩いたダステは、自分たちのテント小屋の前に戻り、ホサイン殉教のクライマックスを再現する。煙幕が焚かれ、ホサインの陣営を模したテントが炎上し、男達は激しい太鼓のリズムに合わせ、飛び跳ねながら鎖を身体に打ち付け、ホサインの名を連呼する。
忘我の境地の中で、両手を天にかかげ、ようやく静寂が訪れる。最後は全員でカルバラの方角に向き直り、祈りを捧げ、今年のアーシュラーは幕を閉じた。【佐藤 彰】