テヘラン市内【2011年・撮影:佐藤 彰】

 

イランで14日に反政府デモの呼びかけが行われていたが、実施されなかった。
昨年の2月14日、首都テヘランでは、アラブ諸国の民衆蜂起に呼応する形で改革派支持者らによる反政府デモが勃発、死者1名(当局発表)を出した。改革派はその一周年として、この日にサイレントデモを行うよう市民に呼びかけていた。

イラン当局は9日からインターネットの速度を最低限に落とすことで、フィルター除去サイトの利用によるフェイスブックなどのソーシャルメディアへのアクセスを出来なくし、ヤフーメールとGメールも完全に遮断した。5日間に及ぶ全国的なメールの遮断は異例の措置で、市民は文書の送信にFAXを利用するなど、対応に追われた。

14日、テヘラン市街では、これまでデモ隊と治安部隊の衝突が起こったヴァナック広場、ヴァリアスル広場、ヴァリアスル交差点、フェルドウスィ広場、エンゲラーブ広場など、主要な広場や交差点に50人から100人単位の治安部隊と何台もの護送車が配備され、市民の不穏な動きに目を光らせた。

一方、こうした広場では、デモに備えてシャッターを下ろす店舗はなく、武装した治安部隊の脇を談笑しながら通り過ぎる市民の姿が見られた。エンゲラーブ広場で雑貨屋を経営する男性は、「みんな生活が大変で、デモどころじゃないんだよ」と笑って答えた。

イランでは2009年、大統領選挙の結果に異議を唱える大規模なデモが勃発し、反体制デモにまで発展したが、政府による徹底的な弾圧で一旦は収束。その後、改革派が折りに触れて反政府デモを呼びかけ、一部の市民が呼応してきたが、継続的なものとはならなかった。
政府による効果的な弾圧、改革派のリーダー不在、デモの目的が不明瞭であることなどがその理由とされるが、アラブ諸国の民衆蜂起の根底にあった市民生活の困窮ほど、イラン社会が困窮していないということが最も大きな理由と考えられる。
【佐藤 彰】