イランで、企業や私設病院におけるネクタイ着用や女性の厚化粧に対する取り締まりが強化される。先月26日、イラン学生通信が報じた。
イラン警察のラーダーン長官は先週、「当局は、従業員のネクタイ着用や女性の厚化粧を組織的に認めている企業や私設病院を取り締まるつもりだ」と発表した。同長官はまた、「こうした企業では、従業員がネクタイの着用を強いられており、着用を拒めば給与が支払われなかったり解雇されたりしている」とし、「病院での風紀基準に対しても、当局はもっと注意を払うべきだ」と語った。

イランでは、1979年のイスラム革命以降、西洋文化の象徴とされるネクタイの着用が禁じられてきたが、これまでは販売も着用も事実上黙認されてきた。今年5月、一部の紳士服店がマネキンにネクタイを結んで展示したことを発端に、店頭での販売禁止が当局から改めて通達されたが、着用の取り締まりが言及されたのは今回が初めて。

これに対して日刊紙シャルグは紙面で専門家の意見を引用し、論陣を張った。イラン弁護士協会のケシャーヴァルズ元会長は、「そもそもネクタイはイランとイスラムに起源があり、西洋を模倣したものではない」と反論する。同氏は歴史家であるニーマー・ピシュダーディヤーン博士の研究を引用し、「ゾロアスター教の聖典アヴェスターでは、戦士に必要な12アイテムの8つ目を、クイラットという、鎧の上に結ぶものとしている。サーサーン朝時代の複数のレリーフには、この幅の広い布を巻いた姿がはっきりと描かれている」とした。

テヘラン市内の紳士服ショッピングモール。一部黙認されてきたネクタイ着用だが、今後は取り締りの対象になる。(2009年・筆者撮影)

 

ネクタイ(フランス語でクラヴァット。イランでも同じ呼び名)の起源として有名なのは、ルイ13世を守るためにフランスを訪れたクロアチア兵(クラヴァット)が首に巻いていた布だと言われる。同博士は、アケメネス朝時代のペルシャ戦争でギリシャに進軍したペルシャ軍の一部が本隊から離れ、ヨーロッパ各地に残留し、その一つが現在のクロアチア人の先祖だとしている。

ケシャーヴァルズ氏はまた、記事中でこう述べている。「もし西洋の衣服の一部を選ぶことが取り締まりの対象となるなら、ジャケットやスラックス、ベストやワイシャツ、革靴や帽子はどうなるのか。重要なのは、近代に入り、アジア人はこれらを西洋的なものとして取り入れてきたといわれるが、実際にはこれらの装いはいずれもアジアを起源としていることだ」。

ケシャーヴァルズ氏は別の歴史家レザー・ヌールバハー博士の言葉を引用し、ネクタイのイスラム的側面についても言及。「十字軍戦争のとき、十字軍兵士らは財力に応じて金銀銅鉄の十字架を首にかけていたが、貧しいイスラム兵たちはイスラム軍であることを示すために、首にはモスレム(イスラム教徒)という言葉の最初のアルファベット、『ミーム』の形に布を巻き、これが広まったとする説もある」としている。
シャルグ紙は最後に、「ある種の衣類を取り締まりの対象とするときには、このぐらいの熟慮が必要である」と締めくくった。
(佐藤 彰)