米軍にひざまづかされ尋問を受けるバグダッド市民。2003年4月 撮影 綿井健陽

 

「対テロ戦争」は、紛争の当事者が明確である国家間戦争ではない。武力行使する大義も対象も判然としない。「敵」は制服を着て戦っている正規軍ではなく、戦うべき相手はその実態すら明確ではない。兵士は、何時、どこから攻撃されるか分からない緊張した状況に置かれる。そのような状況では、誰が「敵」で、どう対応すべきかを、個々の兵士が判断し行動しなければならない場面が増えた。

「テロリスト」の捜索のため住宅内にいる場合など、その場にいない上官は、事態を把握できず個々の兵士に的確な指示を出すことができない。米軍兵士は、自衛の場合の除き、民間人や病院、文化遺産などを攻撃してはならないと定めた交戦規程を遵守することが求められている。もし、民間人を殺傷するなど規程に反する行いをした場合には、兵士はその責任を負わねばならないことを意味する(この点については、後に詳述する)。

映画「アメリカン・スナイパー」(クリント・イーストウッド監督、2014年)は、イラク戦争に4回派遣され、米軍史上最多の160人以上を射殺したクリス・カイル(1)の自伝を元にしている。映画は、「伝説のスナイパー(狙撃手)」であるクリスの視点から、戦場の混沌とした状況や仲間の死傷、帰還後の苦悩などを描いている。

爆発物のようなものを抱えて路上に出てきた女性と子どもを狙撃するかどうか緊迫するシーンがある。主人公は、無線で上官に判断をあおぐが、上官には狙撃手がスコープを通して見ているその現場は見えない。上官からの命令は、「自分で判断して撃て」。隣にいる仲間の兵士は「間違えていたら大変なことになるぞ」とつぶやく。

このシーンは、かつては上官が担っていた責任が、末端の兵士に転嫁されている状況をよく表している。射撃手が、「この女性が手にしているものは爆発物ではない」と判断して撃たなかった場合を考えてみよう。この判断が間違っていた場合、その爆発物によって仲間の米軍兵士は攻撃を受け、死傷することになる。

では、仲間の命を危うくするような最悪の事態を避けるために、この女性を撃つと判断をした場合はどうだろうか。彼女が爆発物をもっていなければ民間人を殺傷したことになる。どちらに「間違う」にしても、その結果は重大である。このような過酷な判断を迫られるのは狙撃手だけではない。
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