IS襲撃前、私はシンジャルを取材したことがあった。70年代、フセイン政権下で荒れ地に移住させられたヤズディ教徒たちは、苦しい生活を強いられた。職を求めて男たちの多くは都市部に働きに出た。農村では10代後半で結婚する女性が多く、小学校を出ていない者も珍しくなかった。中学を卒業したナディアは、母語のクルド語だけではなく、アラビア語も、読み書きもできた。人前で自分に起きた耐え難いレイプ被害を話すことは辛いことだ。それでもナディアが強くなれたのは、彼女と同じ経験をしたヤズディ女性たちへの思いがある。

IS襲撃の3年前、シンジャルを取材した際の写真。ここに映る全員、IS襲撃で故郷を追われた。拉致された親族も多い。この一家はのちに、欧米へ移住。(シンジャル・ハッサン・オメル撮影)

ノーベル平和賞 ヤズディ拉致女性ナディア・ムラドさんの村で (写真13枚)

昨年10月、私は彼女の故郷コジョ村に入った。ISが去り1年以上がたったが誰も帰還していなかった。たくさんの男たちが殺害され、働き手を失った家族は、村での生活をあきらめるしかなかった。ISに協力した近隣の一部のイスラム教徒への不信もある。ナディアの家はISが襲撃した時そのままだった。床には衣服が散乱、家具も奪われていた。

ナディアの家はISが襲撃した時そのままで無人だった。コジョ村は警備兵がいるだけで、住民は誰も帰還できていない。(2018年10月・玉本英子撮影)

現在、ISは支配地域のほとんどを失ったが、2000人におよぶヤズディ女性や子どもが行方不明のままといわれる。脱出後も、ISの恐怖に怯え、ドイツなどへの難民申請があいついだ。クルド自治区へ避難した人たちの多くは故郷へ戻れず、今もテント生活だ。国際社会の関心が薄れることで、支援も減り、人びとは生活困窮に追い込まれている。

「ナディアがノーベル平和賞を受賞しても、私たちの状況は何も変わっていない」。現地でそういう声を多く聞いた。

シンジャル南部のカバイ村はひと家族だけが帰還した。住民女性は言う。「ナディアの受賞は嬉しい。でも私の親族10人以上がISに殺され、2人の女の子が拉致され行方不明のまま」(2018年10月・玉本英子撮影)

思い返してほしい。イラク戦争では米軍による空爆や戦闘の被害が大きく報じられた。日本もこの攻撃を支持した。2011年、米軍がイラクから撤退すると、国際社会はイラクを忘れた。だが現地では混乱が続き、宗派対立に乗じてISが台頭した。ヤズディという小さなコミュニティの人たちが犠牲となった。フセイン政権でクルド系住民として迫害にさらされたヤズディ住民。今度は過激主義の犠牲となった。

ノーベル平和賞の授賞式で、ナディアに笑顔はなかった。IS襲撃がなければ夢だった美容師となり、家族とともに村で暮らしていただろう。イラク戦争後に起きたいくつもの悲劇を思うとき、私たちは無関係といえるだろうか。

(※本稿は2019年1月27日付しんぶん赤旗日曜版、映画評記事に加筆修正したものです)
◆ヤズディ教:

イラク・シリアにまたがる地域のクルド系住民に受け継がれてきた少数宗教。報道ではヤジディーとも呼ばれる。ゾロアスター教やキリスト教、イスラム教などの影響を受け、イラク北部には約60万人が暮らしてきた。歴史的に迫害にさらされ、2014年には「悪魔崇拝」と決めつけたISがイラク北西部シンジャル一帯のヤズディ教徒の町や村を襲撃した。